猫町 他十七篇 (岩波文庫)太郎君はケチだから,本当は下の挿絵の面白そうなほうがよかったんだけど,安い岩波文庫で読んだのだった。ほか17篇のうち数篇は秀逸なものがあった。最後の「老年と人生」がグッド。あと,「鉄筋コンクリート!」と叫んでる作品があるんだけど,最近のアーティストかなにかで,似たようなことを言っている人がいた気がする。思い出せないけど。知ってて言っていたら,結構面白い。知らないで言っていても,結構面白い。
「ドレイ」とカタカナで書いてあったので読めるかもしれないと思って買ったのであります。版が古いのか,活字が綺麗に並んでいない。そこが新鮮でした。たとえて言うならば,新聞の文字を切り貼りして作った犯行声明分のような感じです。それもまた古いのですが。
まじめに読もうと思っていたもののついつい流し読みになってしまったので真髄みたいなところはまったくえられなかったと思います。心に引っかかった部分を少しだけ。
「一般意思」というのを重視しているようなのですが,この概念を理解するのが難しい。イメージで言えば,総論賛成各論反対の総論部分みたいなものだとか,我々人類としての意思みたいなものなのだろうかとか,そんなところです。
憲法の樋口陽一の教科書にも引用されている部分ではありますが,この本には日本が登場します。「日本のやしが子供を刀で切ってばらばらにして空に投げて手元に戻るとまた人に戻っているというのがあるそうだが,国家の主権をばらばらにして元に戻すというの不可能なのだ」といったようなことを言っています。この時代でも日本の刀は切れ味抜群だったのだと思います。
あとは,どんな文脈だったか忘れてしまいましたが,アジア人は小食でスマートだという一節があります。我々ヨーロッパ人は肉を食らい続けぶよぶよに太ってしまっているが,アジアの人たちは小食で芋ばかり食べていてスマートだ。それなのにどんどん食料を生産できる。なのに小食のままだ。という部分。ダイエットにはあまり興味のない早稲田太郎ですが,欧米から輸入されたダイエット方法というのは胡散臭いのかもしれないと思いました。
ええと,それと「人々はドレイよりも貧乏を恐れるのだ」とか,そういったのもなるほどと思いました。
あと,「生まれながらにしてドレイなどというのはありえない」とか。ドレイは奴隷が好きなのではなく,抵抗する力をなくしてしまったのだとか。どこかで聞いたことのあるような話ではありますが。悲惨と言ったらその境遇にいる人に申し訳ないのかもしれませんが,悲惨な状況の人でも,案外元気に生きていたり,あっけらかんとしているように見えることがあります。それをみて,好きでそういうことをしているのだとか,案外あっけらかんとしているものだとか,そう評価する人を見ることがありますが,そう簡単なものでもないのだろうという思いを強くしたのであります。ただ,声を上げない者を救おうとするのは,押し付けがましい偽善かもしれないという疑念となんらかの自己の欲望が背後にあるのではないかという不安とも戦わなければならないという大変な負担を支援者側に押し付けるというのもありうる。そんなこと考えて行動する人などあまりいないのかもしれませんが。岸信介の「声なき声」の名の下に,あの安保闘争に終止符を打ったこともあるわけですし。まあ安保闘争の是非はよくわかりませんが。
まあもういいかな。
町田康の新作です。今月上旬に出たばかり。本なんて腐るほど本屋にあるけれど,ハードカバーでも買いたくなる本なんてめったにないし,少し前に町田康の浄土を読んで,かつてほどすっと腑に落ちなかったことからするとそろそろ感性が鈍ってきて,彼の作品を楽しむこともできなくなってしまうかもしれないというあせりも重なりあわてて買いました。
なかなかよいと思います。まずひとつに,時代が少し旧い設定のようでありながら今の話も普通に出てきていて,時の流れを越えている点。本当は時代劇であっても今書いているのだから今の常識を山ほど取り込んでいるのにそれを隠そうとするのと違って,まったく隠そうとしていないのがいい。
次に,大義名分をいろいろ並べながら結局自分の好きなように物事を解釈してしまうという我々の根源的な問題点をこれでもかと書き連ねる。素晴らしい。
三つ目に意味不明である。これがたまらない。
こんな風に説明するとあまりよくわからないかもしれないから,なんとなく,知識に頼る人向けにコメントをしようとするならば,実存は本質に先立つことを文学的に表現した傑作とでもいおうか。よく意味知らないけど。パンクな人に説明するなら,この本のテーマは破壊だ。芸術好きの人に言うなら爆発だ。
説明する気がない。ただそういうことです。
てやんでえ,寺山修司でも読んでやるか!と読まず嫌いだった寺山修司を初めて手に取った。その理由は三つ。一つは,赤塚不二夫関連の情報を集めていたら,いつの間にかタモリ情報を集めていて,そしたらタモリの芸に「寺山修司」になりきるというのがあったので,どれ,寺山修司臭いものでも見てみようと思ったということ。二つ目は,寺山修司なんてと思ったら早稲田じゃないのというのと,偶然親しい友人が寺山修司好きだという情報を目にしたということ,そして三つ目に,角川文庫のプレゼントが欲しかったことによるのである。
よくわからないその三つの理由により,青臭い青春を味わってみるのもいいかなと気が変わったわけです。
読んでみたところ,まだ途中ではあるのだが,この本はいろんな人のいろんな名言を寄せ集めているために,タモリが真似したであろう寺山節があまりみつけられない。その代わり,山ほどの名言の中に,ふしぎと心を打つものと,全く心を打たないものと,どちらかというと心を打つものと,どちらかと心を打たないものがあるのだ。イチかゼロかではなくて,切れ目なく無感動から感動まであるのだということが面白い。
それと,あんなに好きになれないと思っていた三島由紀夫の言葉が,自分の言葉と重なっているのである。まねをしたか,まねをされたのではないかと疑いたくなるくらいに同じことを語っているのである。彼の本など金閣寺しか読んだことないのに。
法哲学の勉強をしていたときにも,あれほど嫌いだと思ったカントのいっていることに納得してしまった瞬間があったりして,不思議なものだと思ったのだが,ひょっとしたら,三島由紀夫も間との影響を受けているのだとしたら,僕がカントの影響を受けて考えるようになったことと三島由紀夫が考えるようになったことが同じだとすれば,それは不思議ではないようにも思える。それでも,そっくりの表現というのはいただけない。
もうひとつ,「さよならだけが人生だ」という言葉があって,それは井伏鱒二の詩の一節だと紹介されている。これまた僕が好きな言葉だったので,なんとなく陳腐化した気がして残念であったのと,好きな言葉だと誰かに言ったらきっと寺山修司を読んだのだろうと思われてはなんとなく過ぎ去った青春を追い求める熱血系だと勘違いされてしまっては困る。それだけでなく,「さよならだけが人生だ」がかわいそうだ。その上,感動が汗臭さに埋没してしまう。と,危惧を抱いた,というのは脇道の話であって,僕は井伏鱒二の詩を読んだ覚えがないし,この本も始めて読んだのであるから,僕はどこでこの言葉を知ったのだろうというのが気になったのである。誰がどこで語った言葉を僕は覚えているのだろう。なぜそのとき感動して覚えてしまったのだろうか。
たぶん,その時は「さよなら」の意味を知らなかったのだと思う。恋に恋するように,さよならにあこがれるときもあるのだろう。
{Hello Goodbye-the beatlesより}
君がさよならを言うから,ぼくはこんにちはをいうんだよ
こんにちはこんにちは
なんできみはさよならが好きで,僕がこんにちはばっかり言っているのか知らないんだけど
こんにちは!こんにちは!
なんでかしらないけど,君がさよならをいうから,僕は君よりたくさんこんにちはを言わないといけないような気がするんだ
You say goodbye and I say hello
Hello hello
I don't know why you say goodbye, I say hello
Hello hello
I don't know why you say goodbye, I say hello.
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そうだ,完全にずば抜けて感動するということもあるのを忘れてはいけないということを付言するのを忘れちゃいけない。見たこともない,考えたこともない,想像したこともない,予想することも出来ない,そこに触れることすら許されない何かを見せ付けられた瞬間,ずば抜けて感動するわけです。
たとえば,タモリの弔辞がそうだ。
感動したくて生きているのかもしれない。ただ感動というのは簡単にさせてくれない。こちらにも相応の準備が必要だということだ。だから本当の感動を知るまでにはまだ生き足りない。
時よ止まれ,お前は美しい(
ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫))
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読まないほうがいい。すごい。伏字が余計に怖い。早く終わって〜!と焦ってページをめくる手が震える。閉じるのも怖い,進むのも怖い。息をするのも瞬きするのも怖い。
星新一は一文が短い。不思議だ。町田康の延々と続く一文も好きだけれど,ポツリポツリと文が切れるのも美しいと思う。たくさんの言葉の中に何かを隠すのと,簡単な言葉の中に何かを隠すのは,似たところがあるのだろう。
革命だ!とかいって元気が出るかもしれないと思って買ってみたのだが,背景知識がなさ過ぎて驚くほど意味不明だった。それでも,収穫はあった気がする。
トロツキーというと,レーニンのあとスターリンと主導権争いをして敗退した人というイメージしかなかったのだが,どうもそうでもない。昔はトロッキーだったのに,いまはトロツキー。昔はカムチャッカだったのに,今はカムチャツカ。それはどうでもいいのだ。
トロツキーの殺され方がすごい。スターリンから放たれた殺し屋にピッケルで頭を刺されたらしい。