続早稲田太郎的日記

続早稲田太郎的日記

夏休み

夏休みはあまりにも暑すぎて授業ができないから昼間は外に出ないで家でゴロゴロしながら扇風機を回して昼寝してなんとかやり過ごし、夕方涼しくなってから蝉取りに出かけようと言う期間なのである。つまり、夏休みなのに昼間から元気に活動している人には夏休みなど必要ないのだ。
といいながら昼寝をしていました。今日は風が涼しくて昼寝しやすかったのだ。でも、涼しいなら昼寝の必要はなかったのだ。
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忘れた頃にやってくる

筋肉痛と、成績表。
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曙橋

都営新宿線の駅である「曙橋」なのであるが、「曙橋」なる橋をいまだ発見できていないのであるから、夏休みの課題は、まずこれを発見することである。
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金星万年筆

昔、親からもらった万年筆がある。試験前だというのにどうでもいいことが気になってしまうのはいつものことで、いつものように掃除を始めたりしないだけましなのであるが、書き味のいいその万年筆は、どこを見てもメーカーがわからなかった。聞いたことのない名前なのだ。ずっと子供の頃から謎だった。

今日、ふとネットで検索してみたのだ。そしたら

「golden star」は中国の老舗万年筆メーカー「金星」です、という検索結果が出たではないか。ネット社会のすごさを改めて感じた。

書き味のいいその万年筆は、その昔万年筆がはやっていた頃国産万年筆に比べて安く買うことができたらしく、品質にはばらつきが会ったらしいのだが、今手元にあるやつはものすごく書きやすいのだ。しかしながら残念なことに子供の頃落としたらしく、お尻の部分が割れていて接着剤でくっついている。

もう一本買おうかと思ったのだが、ネット社会であっても、検索能力がないからなのかわからないが、僕のほしいタイプの安い金星万年筆はもうどこにも見つからなくて、それどころか中国製の万年筆がほとんどない。あったとしてもごてごてした高級万年筆なのである。

万年筆が高級化して生き残りを図っているのはわかるのだけれど、飾らなくていいから安くて書きやすい万年筆を作ってくださいとお願いしたいものである。

ちなみに、あの後、いくつかペンを試してみたが、やはりいまのところ無印の万年筆に勝るものは見当たらないのである。

調べていてわかったのは今は「金星」よりも「英雄」の万年筆のほうが市場に多いようなのだ。それでもやはりなかなか見当たらない。

うむ、意外と面白いのだね。万年筆市場も。
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仙人

仙人は、蝉の抜け殻のように体から抜け出して、自由に空を飛べるようになるべく努力をしていたらしい。抜け出た体は蝉の抜け殻として、空へ飛び立った証拠として、あがめられるのだそうだ。

今日は帰り道、ミミズとともに羽化すべく道を歩いている蝉の幼虫がいた。全身緑色に輝き、ピカピカと光っていた。突っつくと動いたので、近くの木にくっつけておいた。蝉ならば、空から助けに来てくれるはず。
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最近の蚊は痛いのである。絶対進化してると思う。
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くもの糸

大強盗カンダタは蜘蛛を踏まなかったおかげで地獄から脱出できそうになった。
それを見習って、今日、ミミズをよけて歩いた。しかし、仮に地獄に落ちたとして、ミミズがだらんと空から垂れていたら、と思ったら、ちょっとヌルヌルして登りずらいかもしれないと思った。地面にトンネルを掘って助けにきててくれることを祈ろう。
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土曜丑の日

うなぎでスタミナ
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丘の上の馬鹿

来る日も来る日も
一人で丘の上
歯をむき出していつまでも大笑い
でも誰も仲良くなろうとしない
だってどう見たって単なる馬鹿
挙句の果てに返事もない
でもその丘の上の馬鹿は夕日を見て
その頭にくっついてる目玉でぐるぐる回る世の中を眺めてる

ずんずんと
雲の中に頭を突っ込んで
一人巨大な声でマシンガントーク
でも誰も話を聞こうとしない
音すらも
それにあいつは誰の気をひこうとも思ってない
でも丘の上の馬鹿は夕日を見て
頭にくっついた目玉でぐるぐる回る世の中を眺めてる

誰も彼を好きになりそうにない
何がしたいかすぐわかる
そして感情というものがないらしい
でも丘の上の馬鹿は夕日を見て
頭にくっついた目玉でぐるぐる回る世の中を眺めてる

あいつも何も聞いてないし
みんなが馬鹿だって知ってるし
みんなはあいつが嫌い
でも丘の上の馬鹿は夕日を見て
頭にくっついた目玉でぐるぐる回る世界を眺めてる
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今日あったいいこといっぱい

八百屋で買ったバナナがものすごく美味しかった。こんなに旨いバナナを食べたのは久しぶり。
四谷にあるパン屋がものすごく美味しかった。(GO→さん、今度教えます)
スタバで手提げ袋をもらえた。
学校の近くの公園にある遊具は実は子供向けではなくて大人向けのものだった(使用方法の注意書きにしっかり書いてあった)。懸垂やってみた。ちょっとだけできた。
四谷にある文化放送のありかを発見した。引っ越す直前みたいだったのでぎりぎりセーフ。
その付近に服部半蔵の墓があることもわかった(今度行く)。
160円の喫茶店のお姉さんの笑顔で元気が出た。一瞬、知り合いかと思った。しかしこの感覚、実は上野公園でゴリラと目があったときにも思った。
刺身半額セールをやってた。
行きも帰りも傘を差さずにすんだ。
ハウルの動く城がやってた。
きれいなお姉さんが歩いていたので、どこぞの誰かさんがやっていたようにウインクなるものをやってみようと思ったら両目をつぶってしまって失敗したのである。無理無理。冗談でもできるもんじゃない。ちなみにそのお姉さんですが、日本人にやると切れられそうなので冗談通じそうな外国人でした。どっちみち失敗だけど。
ニケと言う羽根の生えたギリシャの女神がいるのだが、実はそれは英語で読むとナイキであってNikeなのである。で、ナイキのあのマークも実はニケの羽根なのだ。ちなみにそのニケ、今やってるルーブル展にもいます。
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パンパかパーん

5時ごろ学校の屋上に行くと、となりから「パンパかパーん」というラッパの音の後に君が代が流れ、そして「パンパかパーん」で締めくくられた音楽が放送されていた。さすが防衛庁。
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問題はペンではない

今日は試験がひとつあったので、新しく調達した無印良品のアルミ軸万年筆(1000円)を使って書いてみた。なぜなら、万年筆なら力をこめなくてもかけるし、そのペンで字を書いてみたところとてもきれいな字が書けたからである。

しかし、試験は状況が異なる。猛スピードで書いたところ、普段と大差ない字になってしまったような気がしないでもないが、きっと普段より読みやすい字が書けたのだろうと信じることにする。

ひとつわかったことは、書いているうちに手が疲れてきて、ペンを立てたり寝かしたり持ち方を変えたりして書いているので、寝かせるとかけなくなるペンではストレスがたまるのだと言うことで、それは大概ボールペンなのである。だから、万年筆で書いてよかったなと思いたい。

当然ながら高いペンを使ったところで高級な字が書けるわけでもないから、高級万年筆に手を出す気はさらさらない。

だがしかし、ペンは高くても500円くらいのものが多いから、色々試してみても楽しいかもしれない。
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かつぜつ

妹いわく、かつぜつは広辞苑に載っていないらしい。たしかに変換も一発では出ない。
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どどんぱ

ソルダムを食す。すごいぞあいつ。皮は緑なのに中が真っ赤だ。

で、真っ赤なソルダムを食しながらテレビをつけると三浦雄一郎が出ている。あいつら人間じゃねえ。三浦一族おそるべし。

大相撲ダイジェストを今場所はじめてみることができた。パワーが沸いてきたぜい。白鵬は負けちゃったけど、朝青龍強いし、バルトもすごいし。
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お抹茶

お堀。緑色の水がお堀いっぱいに満たしてあって、ポコポコと底から泡があがってくる。あまりの暑さに沸騰しているらしい。結構なお手前で。

きっとそのせいだ。自宅のネットがつながりにくい。世界異変が始まった。日本沈没だ。富士山噴火だ。良純だって飛ばされそうになってたし。
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寝るということ

それは人生の楽しみ。
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字が汚い

あまりに字が汚いと、読む人によっては「ひょっとしてこいつ天才なのではなかろうか」と思うらしいが、大概の人間は読む気がなくなるだけである。簡単に何を書いているのか読まれないように、医者はカルテをドイツ語で書いたりするらしいが、時折汚い日本語で書いている人もいるのを先日目撃した。

いずれにしろ汚い字では試験の答案は読んでもらえない。そこでなんとかして一瞬で綺麗な字を書けるようになるにはどうしたらいいか考えた。結論。ペンを変えよう。

で。

学校を出たら夏だった。なくらい暑い日が昨夜から突然始まったのである。

ついでに、自転車にとまってた蛹がようやく羽化しました。結構長かったような気がする。やっぱりあんな芋虫から羽を作るんだから時間かかるんだよね。
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塞翁が馬

朝かっこつけてコーヒーを入れようとしたら熱湯を左足に浴びたおかげで朝からシャワー浴びてすっきりしたところ学校行くのが遅れたおかげであまり期待せずに昼休みの講演会へ遅刻しながら参加すると意外と面白かったので楽しく聞いていたら授業に遅刻したうえに授業が眠いので久しぶりにジュースを買ったら意外と美味しいジンジャーエールを発見したがあまりに生姜が効きすぎてお腹が減ってしまったので授業後にラーメンを食いに行ったのに買い物で水を買っただけでお金を使い果たしたのでラーメン食えずにすごすご学校に帰ったらその後大雨だったので濡れずにすんだのである。
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東西の味覚

サラダにかけるもの。「ポン酢にごま油と豆腐」と「バルサミコ酢にオリーブオイルとチーズ」

今日は帰りにプラムを買ったのだが、プラムというのはスモモなのだろうか。「スモモも桃も桃のうち」というが、同じ桃と言ったのがすごいと思えるくらい違うような気がする。「トマトもピーマンも茄子のうち」というくらいと言ったらそれは言い過ぎ。

西武でこじんまりとやっていた「水木しげる妖怪道五十三次」を一瞬見た。やっぱりすごいなああの人。
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満月

今日か昨日か明後日は満月のようです。月の前に白い雲があって、月の光が雲にあたって空全体に広がり、夜なのに白い雲の隙間から青空が広がっている様はなかなか素晴らしいものでありました。
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ホオズキ

hoozuki.jpg



ホオズキの中にはミニトマトが入っている。

鳴らし方を知らない僕としては、ミニトマトで練習してみようかしら。とか何とか考えていた。

ほおずきの外の皮はピーマンそっくり。中はトマトそっくり。トマトの花とナスの花はそっくり。

結論。トマトと、ピーマンと、唐辛子と、なすと、ジャガイモ、ホオズキはみな兄弟。なんと多彩な兄弟。

がきの頃、ホオズキを鳴らして遊ばなかった理由が今わかった。とても面倒らしい…
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東京には空がない

とうきょうにはそらがないとちえこのいう

そりゃそうですよ、雨男ですもの。
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だから見に行った

asunosinwa.jpg



見に行っちゃった(笑)久しぶりに鳥肌たったいい作品。

また行きたい。
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明日の神話

見たい。実物が見たい!!

おかもとたろ〜〜〜〜!!
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七夕

今日は七夕。地下鉄四ッ谷駅には誰でも書けるように短冊が置いてあった。何かいい願い事でも書いて笹に飾りたいと思ったが、なかなか思いつかない。3日かかって、いい願い事を思いついたので書いて飾ってきました。地下鉄の駅だから、夜空に架かる願いになるかどうかわからないけれど。だから明日の帰り道、夜空を見ながら願うことにしよう。雨だったりして(笑)

駅では多くの人が短冊に願いをかけていた。子供の短冊もたくさん飾ってあったけど、目の前でスーツを着た若者や、おばさん、いろんな人たちが書いていった。

子供の頃、どこかからか竹の枝を切ってきて短冊に願い事をかけていたときのことを思い出して、織姫や彦星の神話のことを思い出してみた。なぜかもう詳しいことが思い出せない。いままで思い出そうとすらしてこなかった自分に驚きを覚えつつ、でも、そうこう時間をかけているうちに徐々に思い出してくる。

なぜ引き裂かれてしまったのかは思い出せないけれど、年に一回だけ、天の川に舟を渡して会いに行ける話。

子供の頃と今とでは、感じるものも違う。きっと一番あの話に感じる時期に、七夕のことなんて日常に埋もれてしまって思い出しもしなかったりするのだろう。

電気を消して窓から空を見上げることもない。地面に映る影も月影ではなく電灯の陰。たとえ商戦でも、七夕を飾ってくれる商店に、文化を支え、一瞬でも昔思い描いていた七夕の気分を思い出しつつ今の自分を重ねるてくれる機会を与えてくれたことを感謝して乾杯。
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買い物

初めてのネット通販で買い物。2千円の万年筆が今日届いた。なかなかかっこよかったので満足満足。いつ使うのかまったく不明だけど(笑)試験に使おうと思っていたけれど、いつの間にか緑色のインクを買ってしまったので試験には使えない。でもいいのだ。

それが例の「安くていい品物」です。もう廃盤だって。量産社会であっても意外と生産終了とかあっていいものが手に入らないこともあるのだなあ、と思いました。取替え可能なものって意外と少ないかもしれない。



で、まったく別の話を書き足すことにする。

なんと、ギャオで「けものがれ、俺らの猿と」がやってるではないか!!!町田康の小説を映画化したもので、5分で嫌になるのに15分見てるとはまりだし、観終わったときにはもう何がなんだか解らなさ過ぎて楽しくなってきて、日常生活にブレイクスルー!イヒしちゃうわけです。

それと、帝人のCMに出ているカトリーヌちゃんがどんどん大人になっているのである。新しいCMが流れるたびに、どれだけ成長したか楽しみなのである。
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買い物における哲学

安くてよい品は市場に短期間しか存在しない、という仮説をたてた。
なぜならば、作る側からしてみれば、安くていい品物ができれば、安くて悪い品物も、高くていい品物も売れなくなってしまうから困ったことになる。買う人は市場から商品がなくなれば別のものを探し始める。そこで、短期間安くていい品物を出して、いい品物のよさだけ味あわせておいて、その商品がなくなったら高くていい品物を買うように仕向けるのである。

うん、そうに違いない。決して僕の好みがマイナーなのではない。

値段や人の評価に惑わされず自分にあったものを見つけるのは意外と難しいものだ。安くていい品物を捜し求めているうちにそんなふうに思いました。
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日々是発見

携帯電話には英語モードがある。調子に乗って英語モードにしていたのだが、一ヶ月以上たって判明した事実。それは、留守電まで英語メッセージが流れるらしい。これは意外と気づかない事実だった。
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ターバン

最近、黒いターバンを巻いた外国人をよく見かけるのだが、一人たりとも同じ巻き方をしている人を見たことはない。巻いてみようかな…
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風流

自転車に
さなぎついてて
ひきこもり

てな訳で引きこもってパソコンをいじっていたら、以前あまり使い勝手がよくなかったSkypeという無料電話サービスが進化してて使いやすくなっていたので、再び使い始めることにしました。使ってる人がいたら登録しましょう。過去に登録してくださった方、申し訳ありませんが新しくアカウントを取り直したのでもう一度登録をお願いします。ここに公開はできないので(恥ずかしくて笑)連絡ください。ひょっとするとMSNよりもいいかも。MSNメッセンジャーのメンバーをそのまま他のでも使えたらいいのにな。そういう機能ってあるのだろうか。
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デカルトと仏陀

デカルトのコギトエルゴスムという言葉。「われ思うゆえにわれあり」とか、「我思惟する。故に我あり」などと訳される。その意味するところは、何が存在するか、何が存在しないか、わからなくなってきて、すべてを疑い始めたとき、疑っている自分は確実に存在する。そんな意味らしい。

言い換えると、真っ暗になって何も見えなくなっても、何の音もしなくなっても、何にも触れることができなくなって、何があるのかわからなくなっても、慌てふためく自分はやっぱりそこに存在すると言うことになる。

仏教に詳しいわけではないのだが、その昔聞いた説話に似た話があったなあと思う。目の前にある火を消すにはどうしたらいいのか?目をつぶりなさい。そうやって一つ一つの存在を消していく。すると最後に自分が残る。それが有余涅槃。仏教のすごいところはその次の段階があるのである。無余涅槃。自分の存在をも消すのだ。

デカルトと仏陀は自分の存在を消しうるかどうかどこかで論争しているのかもしれない。

時の流れについて。

太陰暦と太陽暦なるものが世の中にあるのだそうだ。太陽暦と言うのは地球の公転を基準にしているらしく、太陽暦と言うのは月の満ち欠けを基準にしているのだそうだ。

太陰暦について思いをめぐらしてみる。

三日月が昇る夜に「今日は三日か」と思い、満月の夜は「今日は15日か」と思うのだ。月を見て暦を思うの世なのである。カレンダーや時計を見て「12時を過ぎたからもう7月かあ」なんて思うよりよっぽど風情があっていいのかもしれないと思った。

太陰暦にしたら暦がずれてしまうという人がいたのかもしれない。そういうのならば正しい暦とは何なのだろう。季節感なのかしら。「もう6月なのに雨が降らないね」とか「3月なのに桜が咲いた」とか。自然現象に暦の正しさを判断させるなんて不思議な感じ。暖かい冬とか、寒い夏とか、もし太陰暦でも同じ問題は生じていたのだろうし。

一年が繰り返すと言うのもよく考えると不思議。同じ夏はやってこないし、同じ冬もやってこない。暑くなる時期も、雨の降り方も違う。でも繰り返す。ただまっすぐ進んでいるようで、ぐるぐる糸に巻いていくようにとらえる。

きれいに言葉が綴れないな、と思う一瞬。

町田康が「告白」の中で表現した世界。心の中が言葉に表せないことによる、言い様もない焦り、不安、怒り、諦め、疎外感。思うこと、考えることを表現できれば、伝えられればもう少し楽に生きられるのにという気持ちが書かれているように思えた。秀逸な作品である。

でもきっと、表現とは自分に語っているだけなのだと思う。あるマーケティングの本にあったわかりやすい表現を借りれば「人は、自分が他人からこう思われているだろうと自分が思うイメージを買う」。全ては自分から始まり、自分の中で終わるのだ。

人というのは数字に弱い。「2割の人間が8割の富を生み出す」とか言われると本当のような気がしてくるものだ。「人の言ったことの7割が伝わっていない」と言ったら信じられるだろうか。どこかで聞いただけである。仮に3割しか伝わっていなかったとして、それに対する返事もまた3割しか伝わっていないとしたら、会話は何回したらまったく別の話題になるのだろう、などと考えてみる。3割を組み合わせて真実を伝えようとする学者たちの努力も素晴らしいし、残りの7割までも使って何かを伝えようとする作家の所業も素晴らしい。 【“デカルトと仏陀”の続きを読む】
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