庄のというらめんや、友達お勧め、に行ってみました。豚骨鰹直麺でうまかった!
その名前に魅せられて買ってしまった大きなりんご。
恵比寿の都写真美術館で無料でやっていたので、とりあえず麦酒記念館で飲んでから見に行くことにしたのであったがたいそう面白かったのである。今日は休日で混んでいたということもあり、酔っていたというのもあり、腰を落ち着けて見なかったのであるが、それにしてもおもしろかったのである。多分もう一度行っても面白いと思われるのである。
本日の集合場所は池袋西口ビックカメラ近くのみずほ銀行前であったのであるが、西武口と勘違いし、西武のある東口にもビックカメラ近くのみずほ銀行があるものだからしばらく待っていて、ついでに電話して、見つからないからマツキヨ前まで来てくれといったのであるが、東口にも西口にもマツキヨがあったためやはり会えなかったのである。世の中難しい。

こんな奴に出会いました。
禁煙席では勉強している。喫煙席では化粧をしている。
目黒で久米美術館という小さな美術館を見つけたので300円払って常設展示を見てみた。不思議な空間だった。
そこから恵比寿に向かって歩くと信濃屋という酒屋がある。試飲用にお酒が棚に普通においてあって、自由に飲めた。思わず飲んだら、やたら英語の発音のいいおじさんに「アイウィッシュ」といわれ一緒にただ酒を飲んだ。不思議な空間だった。結局のところ、モルトはスコッチなのだろうか、という話が発展せず終わった。
衝撃だったのは、今日学校に行ったら、プロペラが二つついてる軍用ヘリコプターみたいのがとなりの防衛省の屋上に止まる瞬間を目撃したことなのだ。
それと、今日は時間がよかったのでらめん好きお勧めの「ぶちうま」という四ツ谷の広島つけ麺を食べてきました。辛めで美味しかった。
何度行ってもとてもいいところです。夜行で帰ってきていま少しぼおっとしてるので詳細はまた後ほど。
一日目

二日目

最近本屋に岩波文庫がない。古臭いがシンプルで安くて、めったに買わない癖してないと困る。
岩波文庫を読んだ。ふと、最後のページをめくってみた。「読書子に寄す」と題した一節があった。
読書子に寄す−岩波文庫発刊に際して−
岩波 茂雄
真理は万民によって求められることを自ら欲し、芸術は万民によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。いまや知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じてそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室より解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。近時大量生産予約出版の流行を見る。その広告宣伝の狂態はしばらくおくも、後代に残すと誇称する全集がその編集に万全の用意をなしたるか。千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに分売を許さず読者を繁縛して数十冊を強うるがごとき、はたしてその揚言する学芸解放のゆえんなりや。吾人は天下の名士の声に和してこれを推挙するに躊躇するものである。このときにあたって、岩波書店は自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹底を期するため、既に十数年以前より志してきた計画を慎重審議この際断然事項することにした。吾人は範をかのレクラム文庫にとり、古今東西にわたって文芸・哲学・社会科学・自然科学等種類のいかんを問わず、いやしくも万民の必読すべき真に古典的価値ある書をきわめて簡易なる形式において逐次刊行し、あらゆる人間に須要なる生活向上の資料、生活批判の原理を提供せんと欲する。この文庫は予約出版の方法を廃止たるがゆえに、読者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自由に選択することができる。携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容にいたっては厳選最も力を尽くし、従来の岩波出版物の特色をますます発展せしめようとする。この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の事業として吾人は微力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって文庫の使命を遺憾なく果たさしめることを期する。芸術を愛し知識を求むる士の自ら進んでこの挙に参加し、希望と忠言を寄せられることは吾人の熱望するところである。その性質上経済的にはもっとも困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世の読書子とのうるわしき共同を期待する。
昭和二年七月
あのシンプルな表装、安い値段にも意味があったのだ。およそ80年前のこと。熱い人がいたものだ。ちょっと胸が熱くなった。俺もガンバろ。
今日は夕方から小雨。ほんの少し気が沈みがちだった。でもハッピーはたくさん転がっている。どれだけ見つけられるかがゲームなのだ。苺が1パック105円だった。あんまり嬉しくなって、今日あった幸運の数々に一気に気付いた。だから、ついでに幸せを足してきた。お陰で今夜の夕飯には鯛焼きと苺とクッキーがプラスされた。雨の日はいいことが起こるのだ。
明日は東京マラソン。都心のさまざまな幹線道路が交通規制になるらしい。たまにはそういうのもいいかも。親とスキー行ってきます。
成績発表でボロボロの成績をとる夢。いったん目が覚めて、気づいたらまた寝てて、今度はまあまあの成績をとる夢。また目が覚めて、もう一度寝てしまって、こんどはまたひどい成績をとる夢。二回目に目が覚めたときにおきなかったのが悔やまれる。それにしたってこんな夢を見ているあたりが結構笑えた。案外自分小さいな。
今日は春の風。花粉がひどいのでヘッドホンにサングラスで予防してみた。若干効果あり。マスクまでしたら不審者なのでやめました。
今日は帰り道、ガマガエルに出会いました。昼間暖かかったので出てきて遊んでるうちに寒くなって動くのが面倒になった感じのガマガエルでした。蛙は絶滅の危機にあるわけですから、この種族と出会うのも最後かも知らんと思い、しばらく遊んでました。電車一本乗り過ごしたので10分遊んでました。フラッシュたいて携帯で写真とりまくったわけですが、彼はいやそうな顔をしてそっぽ向きました。寒くて動けないのかと若干心配しておったわけですが、そのけだるい動きから単なるもーちゃんなのではないかと思ったわけです。しかしまあ、出会ったばかりで言葉が通じないので仕方ないわけです。たぶん、お互いに「変な奴」と思いながら別れたのでした。
眠気との戦いに勝てません。下手な考え休むに似たりといいますが、まったく偉大なる先人たちはどうしてまたずばりと真実を語ってくれるのでしょうか。
今日はまた中村恭子展を見に行って中村さんと仲良くなりました。色々話が聞けて楽しかった。通学路にあるので少し時間があったときふらりと入れるのが嬉しい。早起きは三文の徳。早起きでもないけれど。写真一枚で人を幸せな気分にできるのだから、写真家という仕事も素晴らしい。明日で終わり。残念。でもハッピー貰った。ラッキー。
珍しく勉強したら、衝撃的なまでにあんぽんたんな自分に気づき、これまたどうしたことか、勉強しないほうができるんじゃないかと思ってしまった。何の勉強もしないとビギナーズラックがあるもので意外とできたりするからこれまた困るのである。教科書書いた先生の顔写真をネットで探してる場合じゃない。
今朝は久しぶりにトイレに行く夢で目が覚めた。トイレに行きたい時に見る夢はトイレに行く夢ばかりなのだ。当たり前である。ところがどっこい夢の中ではいくらトイレに行ってもすっきりしないのである。それどころか、ドンドン我慢できなくなってくる。しかもトイレが汚い。というか小さい。あふれそう。ずっこけ三人組を思い出してしまった。そんなシーンがあった。もーちゃんか、はかせか、いや、はちべえだったような気がする。
トイレにこもって勉強でもしてみるか。
青春18切符がなんか安いらしい。やっぱトイレにこもるのやめた。書を捨てよ町へ出よう。東京飄然してみるか。
夜なのに明るい空。星の光が少し弱まっている。春の訪れが近いのだろう。
寝ている事に。授業全部起きて聞いているつもりなのだ。気づいたら目が覚めるのだ。始まりが思い出せないのだよ。どこから読み返せばいいのだよ。もう。夢の中でも勉強してるのだよ初めは。だからわからないのだよ。もう。
今日は久しぶりにひっそりと昼飯。窓の外に広がる突き抜けるように真っ青な空の元で白く輝く有名な作家が割腹した建物をぼうっと眺めながら、偶然ぽっかりとあいた隙間のように、いつも誰かの声が聞こえるラウンジなのに、人の声がひとつも聞こえない、その中で食べた。まるで日曜日の朝の街中。何も聞こえないと、寝始めた時みたいに頭の中で音楽が流れ始め、いくつものストーリーが頭を流れ、それに重なって考え事が流れていく。頭の中はたくさんのことでいっぱいなのに、ぼうっと外を眺めているだけ。小さなフランスパンが美味しかった。本当に美味しかった。その美味しさを誰に伝える必要もなく、ただ一人かみ締める。たった一粒で満足した。とても贅沢な感じがした。何かを持つ贅沢もあれば、何も持たない贅沢もあるのかもしれないと思った。
ほんの少し眠いだけで、混濁。
たくさんの思い出があるはずなのに、どれを思い出してもそこに出てくるその人は、いつも同じ格好をしている。記憶というのは不思議なものだと思った。はじめてあった時のその人も、最後に会ったときのその人も、思い出そうと思うと同じ人なのだ。季節だって違うはずなのに。今度その人にあったとき、僕はきっと目の前のその人ではなくて、記憶の中のその人にあっているのだろう。きっと永遠の付き合いになるのだろう。
それにしてもすべての記憶には、そこに僕がいるというのも、ずいぶん偏っている。ひょっとしたらそこにその人がいないかもしれないというのもまたずいぶん偏っている。
ホッパーという画家がいる。いつかある人と絵を見に行った時、ショップの絵葉書で教えてくれた。何の展覧会か思い出せない。けれど、その絵葉書と売っていた場所は覚えている。本末転倒である。でも、確かに不思議な絵なのだ。新聞を広げたら、その絵があった。あの時も説明できなかった。記事を読んでも、今見ても、やっぱり説明できない。言葉が出ない絵というのもあるのだ。
もっとたくさんのことが頭をめぐった。寝よう。終わりがない。
ふと横山大観の無我が頭に浮かんだ。どこかでは見たけれど、最近の大観展で見損ねた。展覧会を見ていたときには気づかなかった。何か足りない、と思って後になって調べて思い出した。
麗子微笑。
ああ。絵が見たいのだろうか。
真っ白い壁に、一枚一枚好きな絵葉書を貼り付けていって、いっぱいに敷き詰めたい。
仏教徒は虫けらをも踏まないようにうつむいて歩くらしい。というわけでうつむいて歩いてみたが、不殺生戒を忠実に守る東京では虫けらを踏まないようにすべて舗装道路にしてあるのだ。うつむいて歩く必要もない。と皮肉っぽく言ってみようかと思ったが、よく考えたら単に冬だから虫も冬眠中なのだろう。啓蟄はいつだったっけ。
そんでまあ雪降らない記録が更新だそうだが、塗り替える記録というのが1960年というのも若干驚きである。
昨日の中村恭子展がよかったものだからフラフラと歩いているとアートギャラリーが目に留まるようになった。最初は勇気がいるが、いったんやってしまえば次からは簡単に入れるようになるもので、今日は別のギャラリーに入ってみた。同じように人を撮った写真なのに、昨日のは純真、今回は人間らしく生きている人がたくさん。
四ツ谷にはたくさん写真ギャラリーがあるらしく、また暇を見つけていこう。
古本を売りに行った。新しい版が出たから。せっかく売るのだから高く売れそうなところでと思い、早稲田の法律書の多いお店にわざわざもって行った。
ところがこれは間違い。プロは価値を知っているのだ。古い版は価値がないことを知っていた。一軒目は引き取ってくれず、二件目も引き取ってくれず。ようやく過ちに気づき、すごすごと引き返そうと思った。たった二件で。最後、駅の一番近くにある古本屋に、せっかくだからと思って寄った。買ってくれた。一冊たった50円だったけど、嬉しくなって売ってしまった。後から考えれば、もう少し粘ればよかったかもしれない。とりあえず諦めずにもう一軒回った自分を褒めておこう。
今朝といってもお昼ごろ。
家を出て、駐車場。陽だまりに猫。猫と戯れ。ああ、お日様がたまっているのが陽だまりかなのかあ、うまい表現だなあと突如感動したのである。水がたまるように、日がたまっている。
四ツ谷フォトギャラリーなる小さなギャラリーにふらりと入った。女の人の写真家で、モノクロ写真でパキスタンの村の男の子と女の子を撮った写真があった。有名な人ではないのかもしれないけれど、吸い寄せられるような写真がいくつもあった。そっと出て行こうかと思ったのだが、やっぱりいい写真だったので、出口付近でしばらくうろうろして絵葉書ありませんかと聞いてしまった。やっぱりなかった。招待用の葉書がおいてあったので、一葉貰って机に貼った。彼女にとっては会って話して実在する子供たちの写真。僕にとっては見たこともない子供たちの写真。それなのになぜかほっとする写真。
中村恭子展14日まで。
場所
抹茶オールドファッションが美味しかった。今日も100円セール。心を震わせたいという欲求が湧き上がる今日この頃。
ああ、ようやく思い出した。歩いていたり、ぼうっとしている時に思いつく事のひとつ。再び思い出すのは偶然。何かに書きとめておいたほうがいいのだろうか。
人によって何に感動するかというのはそれぞれなのだよなあ、とふと思ったのである。語る相手の意図しないどこかに妙に感動してしまったりする事というのはよくある。一冊の本の中には山ほど文字があるのに、たった一言にだけ感動したり、またその逆もあったり。すべてが積み上げられた感動ももちろんある。本でなくても、絵を見ても、話していても、そんなものなのかもしれない。同じものを見ていてもその時によって違う。出会うべき時に会うと、心が震えるものなのだろうか。その一瞬の感動が、その先の永遠に。その本、その映画、その絵、その作家、ずっと一緒にあってほしいと思い、あの時の感動ではないけれど、小さな感動があったりもする。
そんな出会いを求めて、今日も文房具屋へ。あはは。
あはは。そんなものですよ。今日こそ学校に行こうと思って四ツ谷で降りたのに、ふらふらと彷徨ったのである。見つけたのが麹町にある
萬力屋というお店。おお、このブログ、リンクを貼る機能があるのね。勝手に貼っていいのかしら。HPだからいいよね。
そこでその
プラチナの210円の万年筆プレピーを探したのである。しかしまだ届いていないらしい。ちぇっと思いながらペンの棚を見ていたら見つけましたこれ!ロットリングの
サーフそしてオートの万年筆
F-Lapaああ無駄遣い。
結構よかったが以前買った無印の万年筆
アルミ丸軸万年筆/ファイン・黒インクカートリッジ1本付
には重さ、書き味では勝てなかった。とはいえ書いているうちに馴染んでくるので楽しみにちびちび使います。
世界堂のことをすっかり忘れていて、コメントを見て思い出し、今日出かけようかと思ったら明日から西口店が文房具専門店としてオープンと書いてあったのである。このナイスなタイミング。この危険な香り。
やっぱ無駄遣いじゃなくていい買い物だった。
ま、なんとなく気分がいい日というのもあるものです。
試験が終わった途端これである。先日いい万年筆を見せてもらったことが原因のひとつではないとは言い切れないが実はその前から始まっていたのだと思う。プラチナ万年筆が210円の万年筆を発売したと言うのを聞き、いてもたってもいられなくて学校に行く途中にがまんできなくなり、予定変更してなぜかLOFTにいった。なかった。なぜITOYAにいかなかったのだと自分を問い詰めたら、それは以前LOFTで3000円の万年筆で書き味が結構いいのを見たわけでそれを買ってもいいと思ったという欲によるところであると答えが出た。しかしそれは、見間違えで5000円だったのだ。がまんした。
人生万事塞翁が馬。ハイテックコレトと言う詰め替え式の2色ボールペンがあってそれは以前からはやっているのだが、それが新しくなり三色ボールペンタイプが投入されインク色も追加されたのだ。しかもその色がほしかった色なのである。願ってもない話。これから2年半はこれできまりだとおもいました。
時代は私の後を追ってくることを確信した瞬間でした。冗談です。
駅に向かう途中にあるずっと工事中だったお店が今日オープン。喫茶店らしいということがわかるまで一ヶ月、大量の石を積み上げたかと思えば翌日にはなくなり、夜になるといつもスタッフらしき人たちが雑誌を読みながらお茶しているのに開店する気配がないという意味不明の店なのだ。これから見て来なければならない。
自習室の机上にある時計の針が反対向きに進んでいた。こわすぎる。
今日は節分。大声で豆をまきました。
とてもくだらないことだった。魔法瓶。「魔法」って凄い名前じゃないか。でもほんとに冷めない。まるで魔法だ。
ってことだったのだ。
明日で試験終わり。今回はまるで駄目。思ったこと。
潔い馬鹿は一見天才に見える。
今日は帰り道、いい香りがした。振り向くと、白い梅だった。「東風吹かば」といってみたが、その先が思い出せない。こんな時思い出していい歌だったかもわからない。
今日は満月。満月の夜は影がくっきり。
今日からホワイトプランになったので、久しぶりにソフトバンクの友達に電話してしまった。そこでわかったのだが、いつもビクビクして電話時間ケチっていたのだが、やはりいくら話してよくても、限界は大体7分。それにしたって電話代を気にしないでいいのは嬉しいものだ。電話帳で片っ端からソフトバンクの人に電話かけてみようかと思ってしまった。
呼び捨てで呼んでくれる友達が近くにいなくなったなあと少しさびしく感じた。しかし考えてみれば、考え過ぎな気もした。いろんな風に呼んでくれているのだ。どこに線を引くかの問題なのだ。
物凄く面白いことに気がついて、それを書こうと思っていたのに忘れてしまった。しかも二つ三つあったのに、忘れてしまった。ご飯食べたら忘れてしまった。