妹が借りてきたのを貸してもらった。聞いているうちに、痛いことがあったときに友人が教えてくれたのを思い出した。また聞いているうちに、友人がブログで紹介していたことがあったのを思い出した。思い出すだけでありがとうといいたくなる。ああそうだ。他にも感謝しなくちゃいけない人がたくさんいる。感謝しなくちゃいけないことがたくさんある。最近忙しいことを理由に、本当は忙しいことよりも表現力が弱まっていることが理由なのだが、あっさりとした応答しかできないのが悔しい。表現することに怯えている。
全ての語ろうとしたことは既に語られている。これは衝撃的なことだ。誰かによって語られた言葉を、表現を、われわれは繰り返すことしかできず、そしてその表現は、繰り返されるたびに洗練されるのではなく、劣化していく。それが真実であっても。自分によって語られてしまったこともある。気付かぬうちに繰り返し、自分の中では新鮮なようだけれども、外に表現された時点で実は既に腐っている。同じことを語るために、似た言葉を繰り返し、最も真実に近い言葉は使い古され見向きもされなくなり、真実から遠ざかる言葉を使わざるを得ない。
侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫) / 芥川 龍之介アフォリズムであるのでこれもぷつぷつと読める。ぼんやりと考えていたことが鮮やかに語られていた。最初は新渡戸の時のように感動した。同じような考えがあったのだと。しかし、徐々に不安になってくる。彼の考えを自分はとっただけなのか。自分の考えは彼に及ばないのか。同じ考えは自分の支えになるとともに自分の存在を不要のものとする。
孤独は寂寥に起因するものと疎外に起因するものがある。誰も周りにいない孤独もあれば、類がいるのに孤独に感じることもある。疎外のほうが苦しみは大きい。しかし成長も早いように思う。この話は観念上のもの。人とのふれあいというのではなく、思考そのもののふれあい。
芥川の「手巾」は新渡戸稲造が死ぬ時の話だというのを聞いた事があるような気がする。二人がつながっているというだけでうらやましく感じてしまう。
この言葉もまた語られた言葉の繰り返しなのだろう。思い出せないか、見つけられないかのどちらかだ。
まねをするのは簡単だが、作り出すのは難しい。まねしたものを作り出したと勘違いするのは傲慢である。謙虚にまねをすることならば許されるだろうか。
今日で七月は終わり。月が明るくて昼間のようだ。空を見上げるとまぶしい。
この雨、と思ったけれど、梅雨時にこんな雷雨はなかったんじゃないかと思い直した。梅雨の雨というよりも夏の雨。こんな雷の時は、夜景の綺麗な高層ビルに行くと綺麗に雷が見えるんだけどなあ。
でまあ朝青龍のニュースをちょっぴり見た。詳しくは知らないのだがこういうニュースを見るとついつい斜めから見てみたくなってしまう。まずは、ズル休みしたくなるほど仕事忙しいんだなあということ。怪我を治す時間もなく、多くの力士が怪我だらけでかわいそうなのはよく聞く話である。
そして、次に思うのは、モンゴル政府に頼まれて出たのだという言い訳。もしこれが本当だったら、逆の立場で考えるとどうなるのだろうと思ってしまう。
アメリカの国技、野球のオールスターでMVPを取ったイチローが、肩に違和感があるといって野球を休んで帰国して、少年野球に出場みたいな感じなのかと想像してしまった。
やっぱ違うかな。
それにしてもそこに中田がいたというのがちょっぴり笑える。
スポーツは国境を越えるというが、モンゴルと日本も相撲を通して仲良くなれたらいい。一度行ってみたい国だから。気が遠くなるほどの大草原らしいじゃないか。
自動販売機に話しかけられた。「午後も頑張ってくださいね!」なんていわれて調子に乗ったのはいいのであるが、「携帯をタッチしてください、ポイントがたまります」と表示してある部分、タッチしたが何も起こらなかった。お財布ケータイみたいのは携帯の何らかの機能を起動しないといけないらしいということがわかったが、やり方がわからない。でも、聞けない。だって自動販売機だもの。
で、使い方を調べてみたのだがなかなか見つからない。でも、変わりに面白い発見。喋る自販機、地域によって方言を使い分けるらしい。つわものだ。
先日紹介した
新渡戸稲造論集 / 新渡戸 稲造であるが、一息つく暇ができたので再び少し読んでみた。論集であるから、ぷつぷつと読めるのがよい。
新自由主義という論は面白かった。
読んでいて、沸々と興奮が湧き上がってくる部分があったり、しっかり笑えるところもあったり、自分が考えながらも悩んでいることを支えてくれる考え方があったり。自分の生き方だけじゃなくて、あるべき社会の姿とか。そんな偉そうな事を恥ずかしく思わずに考えさせてくれる時間をくれた。いつ以来だろう。100年近く前の僕の存在なんて知りもしない人が僕を揺さぶる。
ちなみに笑える部分というのはこんなくだり。
「ルソーは人を豆視し、カントは人間を納豆視する。それだから独逸にはカントあるいはフィフテの思想も仏蘭西革命のごとき結果を見せずにすんだ。否、今度はカントの納豆説が、いっそう力を入れて味噌汁になった。納豆を摺って滅茶苦茶にしてしまった。個人というものはなくなった。摺り鉢の中で摺って一緒にしてこれを国家と称した。これがヘーゲルだ。」(論集248ページ)
秀逸である。しかしどこかで読んだ気がするのだ。引用だったか、この論集を読んだのか。いつどこで読んだのだろう。気のせいなのだろうか。
あんまり暑いので初めて見かけた昼寝中の猫の肉球を突っついて遊んだら引っかかれた。猫引っかき病なんていうのがあるらしく、恐怖におびえるはめに。最近猫から学ぶことが多い。社会というものを教えてくれる。人間関係少しうまくなるかも。
試験中に笑って誤魔化す。
あと少しだけといっそのことが入り混じる試験30分前。
一緒に再試験受けようねなんて言葉は誰も信じていない。
メロンとともに虫かごに入れられたカマキリを哀れむ。
試験中に夏休みの計画を練り直す。
山を張るのは外れてもなんとかなる人がすることだということを知る。
読めない字で答案を書くのがせめてもの反抗。
嘆くのは試験範囲が広いから。
筋肉へって、お尻が便器にはさまった。
〔解説〕
体重は増えたものの肉がつく部分というのは人それぞれ決まっていて作者の場合背中と腰周り以外の部分は細々とやせ衰えていくのであって、お尻の肉も筋肉が落ちるとともにドンドンなくなり小さくなっていって便座の中に落っこちそうになって慌てるさまがよく表現されている。トイレにおいても油断大敵である。
けんかして怪我をしていた黒猫が復活してたもので、「治ったんだよかったね〜」と声をかけたら世話をしているらしいおばさんが「まだ完全には治ってないけどね、新入りの三毛と仲が悪くてけんかしちゃったのよ。」と猫の代わりに教えてくれた。まるで猫と通訳を介してしゃべってみたいだ。しかしその三毛の片耳はハート型になっているのを私は知っている。黒猫がかじったに違いない。
その黒猫、いつもは寄ってこない癖して、その怪我をした日は、喉もやられたらしくニャーニャーともいえないかすれ声を出しながら走ってきた。
そりゃけんかして負けたらグズグズいいたくなったんだよなあとその時の事を思い出しながら思った。
そういえば、小学生の頃、余った牛乳取り合ってけんかして負けたことがあったなあ。ただちょっと悔しいだけだったのに、すごすご席に戻ったら隣の席の子に「たろう君かわいそう」といわれたのが、涙が出てくるほど悔かった。哀れまれるのは嫌いだ。同情するなら牛乳くれ。あの頃はたかが牛乳にも熱く生きてたぜい。
去り際に「〜ちゃん、気にしてくれる人がいてよかったね」とそのおばさんが黒猫に声をかけていた。優しい人だと思った。
今日は逃げて行った。世の中そううまくはいかないらしい。
どうして駅に立っているのか理解できなかった。降りた電車にいつ乗ったのかが思い出せなかった。どうして降りられたかもわからなかった。ただ階段の前にたっている自分がいるということしかわからなかった。どの駅かすらわからなくなっていた。きっとあの駅だということはわかるのだけれど、本当は違うような気がした。駅のプレートを見れば確かめられるのに、プレートがどこにあるかすらわからなかった。プレートを探しているうちに、電車を降りたのか、乗ろうとしているのかわからなくなった。携帯が鳴っているような気がして手にとってみたけれど、それは気のせいだった。10時27分、ああそうだ。家に帰るんだった。携帯の時計に救われた。
集中している時は始まりを覚えているから、途中は覚えていなくてもなんとも思わない。それなのに、ぼ〜っとしているときは、始まりを覚えていないから、不安になるのだきっと。
髪を短く刈り込んだとたん猫にもて始めた。寺に猫が多いのはそういうわけらしい。
墨子の十論の一部を漢文、書き下し文、現代語訳、解説をしたもの。平和とはなんだろうと考えながらネットサーフィンしているときにふと見つけた。墨子は戦争反対。攻めてはならないと必死に読者を説得しているように思えた。一方で、攻められた時の守り方は、徹底的な軍事政権。
チャップリンの映画で「一人殺せば人殺しだが・・・」という名台詞があるが、墨子にも似たくだりがあった。一人殺しても人殺し、たくさん殺せば大悪党である。そんなのわかりきったことなのに皆は褒め称えている。おかしなことだ、と。
飛ばし読みしてしまったが、最後のほうの解説も結構面白かった。なんでも墨家集団は学校みたいなところだったらしく、多くの人が学びに来たそうだ。しかし、みな官職欲しさに来るだけだから、全然勉強をしなくて困っていたそうだ。文句ばかり言っているが結局お前が勉強していないだけじゃないかと学生に雷を落とすくだりがあると説明してあって、私は半笑いでした。
台風の名前は全部で140個。繰り返し使うらしい。14カ国が加盟する台風委員会で決まったのだそうだ。
今回の台風はマンニイ。海峡の名前だそうだ。色々な名前があるのだが、「バビンカ」というのはプリンの意味だそうだ。なんでプリンなんだろう。あんまりきてほしくないのは「ドリアン」かな。
以下のサイトを参照にしました。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-5.html
「おしりかじり虫〜」とみんなの歌で流れてきた。衝撃だった。「都会のおしりは苦かった〜〜」といっておしりかじり虫が病気になってしまうあたりに笑ってしまった。
久しぶりに夕方帰った。夕焼けが金色で、お寺から蝉の声が聞こえてきた。
神社の境内なんだろうか公園なのだろうか、お稲荷さんの前にあるほんの少しの敷地。そこで美女の取りあいが始まる。といったら嘘だが、似たような状況になっているのである。数匹の猫をめぐってそこを通りがかる通行人たちがわれ先にときょろきょろ相手を探し、猫は猫で、他の猫が寄っていくのを鋭い眼差しで見つめているのである。人間関係のことはよくわからんが、きっとこういうことが起こっているのだろう。
でまあ、ちょっと法律的な話でびっくりしたことがあったのだが、新聞社というのは傾向企業といわれて、特定の思想を有している、または有していないことを理由として雇用を拒絶することは許されるらしいのだ。ってことは、ニュースってどうなってるの?テレビは?ラジオは?などと思ってしまったが、たぶん、重要じゃない部分に引っかかって本質的なことを見逃した結果陥った間違いなんだと思う。
もう一個へんなのと思うのは、これは以前大学の先生が言っていたのだが、よくわからん第三者委員会とかいうの作って買収防衛策発動やったって結局高裁で判断されてるんじゃ意味ないんじゃない、ということなのだ。真面目に議論を展開しようとするとちょっとつかれるのでやめてしまおう。
でもそんなこといってると、「日本人は政治的な議論を極端に避けすぎている」と、フランス人の学生に言われているとと関西学院院長に指摘されてしまうのだ(日経新聞7月9日5面)。が、このような書き方は再伝聞であり証拠価値が低い。だからといって皆が適当に流してくれるとは限らないのである。これは裏返すと真意に反して伝わる恐れが大きいということなのであるから、ここでこのような安易なことを書くと、関西学院院長に迷惑が及ぶことに加え、下手をするとフランスとの国際問題に発展しかねないのであり、相撲が大好きなシラク元大統領のいるフランスとは仲良くやっていきたいと思っているのであるから、まだ怒られてもいないのにフランス大好きと最初に叫ばなければならなくなり、そうすると、先に述べた猫の如く鋭い視線を浴びせてくる輩が現れるのであり、困った挙句に人類皆兄弟というと、今度は宇宙人に恨まれてしまうのである。万事休す。宇宙戦争だけは避けなければならない。
でまあ、今日また居眠りをしてしまったのだが、目が覚めると机の上にありんこが一匹いたのである。よくみていると、結構動きが面白い。時折触角を大きく伸ばして何かを感じているのだが、何を感じているのかとても気になった。やっぱ迷って焦ってたのかなあ。端っこに行かれると潰してしまいそうで怖いので、端にいきそうになったらペン先で誘導していたのだが、青色インクを触覚で触った時には飛び上がらんばかりに驚いて走って逃げ出したのであるが、どんな味がしたのだろうか。
そんなことを考えながら、ふと本屋にいってレポートのねたでも仕入れようと思っていたら面白い本があったのだ。この書き出しどうですか。
「私が始終青年のために憂えていることの一つは、概して日本の青年は薄っぺらであるということ。」
あんまり衝撃的な書き出しだったために買ってしまったのだが、まだ全然読んでない。けど、ちょっと読んだ。2ページでワクワクした。どうしようどうしよう。最後まで読んじゃおうかな。
なんかがっちりして顔もおっさんくさくなって別人みたいになっていたが、諦めの悪さはあいかわらず。名古屋場所が始まった。
今日はlive earth dayという日らしく、よくわからんが世界中で同時に地球温暖化に反対するライブが行われるらしいのだ。
それはさておき今日は七夕。短冊をつけすぎてしなってる四ツ谷駅の笹の飾りには笑ってしまいました。みんなの願いがかないますようにと一枚だけ貼っておけばいいのだ。
今日は久しぶりに朝ごはんと夜ご飯の間に何も食べなかったのである。飲み物も水だけ。チャンスを逃すとそういうことになる。
でも、久しぶりの健全生活。
レポート書くのに本がなくてあってもすべて借り出されてたり取り寄せに時間かかるし取り寄せできなかったらわざわざ遠くまで借りに行かなきゃいけないなんて理不尽だと思う。頼むから電子化してくれ。こぴぺも簡単になるから。翻訳もソフト使えるから。高いんだから。エコとかいって国会図書館の中身を全部電子化してくれ。そんで開放してくれ。
なんて願い事を言ったらグーグルが少しだけ叶えてくれた。夜お願いして次の日の夜までに少し叶えてくれたんだからグーグル凄いよ。
アメリカはきっとお休みなんだ。いいなあ。
足が止まらない〜〜ってくらいなハイテンションだったのである。それは昨日どうにも我慢できず買ってしまった桃で元気が出たからなのか、春秋に知らない言葉が出ていてその表現がなかなかよかったからなのか、長嶋茂雄の私の履歴書が感動的だったからなのか、そのとなりの文化面の記事がなかなか面白いものだったからなのか、それとも、今朝魚を狙う子猫を発見したからなのか、それとも、その子猫を通り過ぎた後には孵ったばかりの子猫(まさにその表現がぴったりだと思う)が3個くらい歩き回っている現場に出くわし、猫好きばかりのあの近辺、おばあさんたちがこねくり回していて順番待ちしようか迷ってしまうくらいかわいかったからなのか、あまりのかわいらしさに地団太を踏んでしまいそうになったからなのか、もう学校行かずにずっとそいつと遊んでいようと思いそうになったからなのか、色々思ったけど大人の自分はそ知らぬふりをして通り過ぎたからなのか(か、かわいいとつぶやいてひざが崩れてしまったような気はするが誰も気付いてはいまい)、その子猫を通り過ぎた後に出会った大人の猫がニャーと鳴いたからなのか、そいつに逃げられたのに、きづいたら三毛猫が足元にやってきていたからなのか、昼飯用に買ったパンが思った通りうまかったからなのか、それがクーポンなどのお陰で100円を切っていたからなのか、机が汚かったら床を使えばいいということに気づいたからなのか、耳の違和感が治ったからなのか、レポートが何一つ終わっていないという紛れもない事実にふと気付いてやけになっているのか、試験が近づいているのに復習なんて物は何一つやっていないことにやけになっているのか、なんなのかかんなのかわからんが、ようはつまり、歩き出したら足は止まらず、話し出したらそれもとまらず、食べだしたらとまらず、寝だしたらとまらず、どうにもこうにもくるくるまわってしまいたいくらいにはいてんしょんだったのである。夕方までは。
勉強しようと、本を広げた途端にバクスイし、目が覚めたら左耳がつまっていたのである。
おばけ出現。もう知らない。あなたと仲良く生きようと思います。
病院にいこうとしたら治るのである。まるでおばけだ。人前には現れない。
決意した日に限って日曜日。やっぱり左耳がおかしい。勉強できないのをそのせいにするのだ。治ったら今度は机が汚いせいにする。机も綺麗になったら蒸し暑さのせいにしよう。そして太陽のまぶしさのせいにするんだ。