最近世の中のことがよくわからない。
「こんな世界だからこそ絶対に譲れないことがあるのよ」
先日紹介したパンク侍の一節である。あの小説の中だとぐっとくるひとことなんだ。
譲れない何かを見つけた人は幸せだ。
学校のプログラムでベトナムにいくことにしました。が、学校のプログラムであるため、なんらかのレポートを書かねばなりません。しかしまったく情報なし。ベトナムの法律関係で何か聞いたことがあったらどなたか教えてくださいませ。きっかけさえあればその後は何とか調べますので。
レポートのテーマ設定は自由らしく、自分でねたを見つけてなんか書けという、なんとも面白いプログラムなのであります。
それと、今回初アジア、初発展途上国、であります。旅行をあまりしない太郎君は、不安を感じておりますので、なにかよいアドバイスがあったら教えてくださいませ。
今日は月食だったのに雷雨。残念なこと残念なこと。とはいえ、夜空が雷で明るいというのも、なんというか、季節の変わり目というか、陰と陽の交わりというか、なんかそんなものを感じます。
そう、世界陸上、大阪でやっているらしい。ホームなのに日本勢に元気がない。知っている選手が活躍できないとつまらない。なぜ元気がないのだろうか。それにしたって知っている外国人選手もほとんどいなくなっている。
今日の日経新聞の最終面に円空の記事が載っていた。貧村からの怒りが円空の仏像を作り出したという。なににしたってあの仏像は感動的だ。ああ、もう一度みたい。
この夏は、見たい美術展がたくさんあったのに、行くことができなさそうだ。とても残念。
それと、バーベキューでも、などといろいろ夏の初めにお誘いがありながら、ぜんぜん果たせずすみません。
つまらぬ人間にならないよう気をつけます。
四谷にできた新しいラーメン屋。
太陽のラーメンを食いました。トマトベースのスープに細麺。いってみるならばスープパスタですな。まあまあでした。730円。スープパスタは730円じゃ食べられないからお得かな。中に入っていたから揚げの鶏肉はうまかった。
場所はここ
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リカバリーまでした。少し調子はよくなった。でもだめだった。ハードの問題らしい。やるだけのことはやった。しかたない。修理センターに電話したら、移動するだけでセーフモードになるなんてそりゃもう修理4万くらいかかりますと言われ、ショック。
再試験だったらもう一回勉強するチャンスとか、いろいろ合理化できますが、パソコン壊れたのはどうしようもない。
わけでもない。
新しいの探すか。
でもそんなことしてたら再試験が。
悪夢だ。
そろそろ3年たつVAIOが突然フリーズし、再起動をするという奇行を3度も繰り返した。壊れたのだろうか。持ち帰ったらいい子にしている。
と思ったら、またおかしくなる。
ああ。
生まれてこの方「ドフトエフスキー」だと思ってたら「ドストエフスキー」だった!!!!
にわかには信じがたかった。最近になって呼び方が変わったのだろうと思い、調べてみたがどうもそうではなさそう。しかたなしに昔読んだ本を引っ張り出してみたらいつの間にやら「フ」の右下ににょきにょきと足が生えて「ス」になっている。やつめ、やるな。
そんでもって、いつの間にやら彼の代表作の中に、アンナカレーニナがあると思い込んでいた。最初はトルストイだと知っていたはず。記憶というのはいつの間にやら入れ替わっているらしい。おそろしやおそろしや。
なぜドストエフスキーかというと、カラマーゾフがいま再燃しているというニュースを見てふと思ったのだった。読んだかどうかももう覚えていない。ラスコーリニコフが出てくるのはどれだっけ?名前あってるっけ?
ロシア文学は名前が難しい。
たぶんこれが再燃ブームに火をつけた新訳カラマーゾフだと思うのだが、それにしたってこの表紙、馬鹿にしているとしか思えない。
ついでにニュースで、グーグルマップがブログへの埋め込み可能になったらしいのでお勧めカレー屋さんをご紹介。チェーン店だと思うけど、「シディーク」。
拡大地図を表示動かせるからいじってみて。
生まれて初めての再試験〜!!楽しみ!
早稲田の時には再試験もなく不可だったから情けを感じます。
ブロガー早稲田太郎に最近元気がないという声を聞く。その理由は明日になればわかるさ。
と、絵を見たときに思った感想が浮かんだのだ。絵を見るときに、どんな風に見るか。画家がどんな気持ちでその絵を描いていたかに思いを寄せながら見る人もいる。
僕の場合は、その絵から何を感じたかを重視する。風のにおいを感じるかもしれないし、汽笛の音かもしれない。ずっと絵を眺めていると、ひとつの漢字をずっと見つめているときと同じ感覚になる。いったんばらばらになって何の意味もなさない見たこともない形になって、ひょっとしてほかに知っている何かのような気がして不安になり、そして元に戻ってくる。それを楽しみながら絵を見るのが好きだった。
最近はどうも絵を見るスピードが速くなってしまって、ばらばらになったり元に戻ったりという感覚を味わいにくくなってしまっている。残念なことだ。それでも、やはり絵を目の前にして足が動かなくなる、そういう作品に出会うことはある。大金をはたいて絵を買う人の気持ちがなんとなくわかる。
きっと、絵に限らず、音楽であっても、文章であっても、作者の視点から見る楽しみ方と、観客の視点から見る楽しみ方があるのだろう。
ところでブロガー早稲田太郎は、リアルの世界では別名で元気に暮らしております。って実名ばればれですが。ブログの内容が暗いのは、早稲田太郎の文才が足りないからであって、決して暗い子ではありません。ひげもじゃもじゃで伸びかけ坊主の汚い子かもしれませんが、ほっといても伸びてくるものなのです。
ウルフルズの「髭剃れ髪切れいちいちうるさいよ」というフレーズにやたら感心したのはもう何年も前のことですが、いまだに感心しているわけであります。
例えばですね、少し前に花屋に売っていた5センチくらいのパイナップルが干からびて死にそうになっていたところを救い出し、水をいっぱいに入れた空き缶に刺してほっといたところもう2ヶ月近くたつのに元気に緑の葉っぱを伸ばしているというのに生命の神秘を感じたとか、いつの間にやら夜遊びする蝉がいなくなって寂しい限りだとか、高田馬場のビッグボックスがいつの間にやら改装されていてなんと真っ青になっていたとか、あのグリコみたいなやつがいなくなってたとか、蚊は大きくても叩き潰せるのに、ハエはショウジョウバエでもつぶせない僕はおかしいのだろうかとか、買ってきた朝顔が二つ花を咲かせたきりもう咲かないのに悲観しているとか、同じく買ってきた苦瓜の苗が生長し、一個だけ苦瓜ができたのであるが、苦瓜は熟れると黄色になるのである事を始めて知り、その姿はまるでイボイボのついた細長いカボチャの様であるとか、まあ、そんな話はいくらでもあるわけです。はい。
なるべく安く済ませようと思う早稲田太郎君は新作なんて借りることはめったにないのでありますが、こればかりは借りてしまおうと思ったのです。この人のはほかのどのCDを聞いてみてもこれというのがなかったのですが、このCDのプロモーションを見たときは、おお、この人が売れる理由がわかったと思ったりした太い声だったのでした。
今日は学校が休館だったので久しぶりに家で勉強をしようと思っていたのに、机が汚すぎてしかも雪崩を起こし、拾い上げたら映画のシーンのごとく紙が散乱していって、24時間テレビでも見ることにしようかと思った。そしたらお笑いの番組がやっていて、面白いのとつまらないのと力の差が歴然としていると思ったが、実はそうではなくて、ただ単につぼが違うだけなのかもしれないと思ったら、上下の差なんて起こりえないハッピーな世の中ができることに気づいた。しかしながら、誰も笑わないところでぶっと笑ってしまうのには恥じらいを覚えるものである。
少し遠くに感じるようになる人もいる。そのまんまの距離の人もいる。でも近くなる人はいない。それが旧交を温めるということなのだろう。
最近見つけた果物、ネクタレンはうまい!!ネクタレンは桃と杏の掛け合わせ。杏の酸っぱさと桃の甘さがいい按配でたまらんのです。
みんなで輪になってスキップしてる夢。それなのになんだかさびしい。
蝉の体は空洞。空っぽな体なのに生きているなんて実は結構怖い。夜になると桜並木に鈴を掛けたようにしゃんしゃんと鳴いている。自分の立っているところだけ音がしない。来た所と行く所では音がするのに。一人で酔ってしまったときのように、周りは騒がしいのに自分だけ袋に包み込まれたような、そんな気分。そんな時、電話をかけてしまったりする。
迷惑メールの差出人が自分になっている。どうなっているのだ。
帰り道、立替のために更地になった土地の上に空があった。広く空が見えるところなんてあまりないからつい見上げた。明るすぎて星なんて見えない。そう思っていたけれど、じっと空を見上げているとだんだん星が見えるようになってきた。
きっと星が見えないのは、街が明るすぎるからではなくて、のんびり空を見上げる余裕がないだけなのだろう。もう少し粘っていたら流れ星にも出会えたかもしれない。流れ星が見えたなら、ぐっと目を瞑って瞼の裏に捕まえて、ゆっくりと長い願い事をお祈りしよう。そっと目を開けたらほんの少しその願いに近づいているかもしれない。
たぶん蝉があたってるのだろう。それにしたって、夜中に、こつこつと窓を叩く音がすると一瞬緊張する。恐る恐る障子を開けてみる。何もいないのを確認してすぐ閉める。たぶん蝉だ。
自習室にまで聞こえてくる花火の音に冷静でいろなんていわれたってそんなの不可能だ。ここからならバスで30分くらいで着くとわかっていたって一人で行くのも不可能だ。
といったことを書くと、「最近ブログ暗いね」とか陰で言われてしまいかねない。
じゃあこうしよう。
今日、初めて食べ頃のマンゴーを食べた。恐ろしく旨かった。どうだ!
久しぶりに証明写真を撮ったのだが、なんだか顔がでかい。自分、こんなに顔でかかったっけ。思い悩むも原因判明。証明写真は顔の大きさが何センチ分と決まっている。通常顔といっても、頭と顔を合わせた部分の大きさだから、僕は坊主な分、顔が占める部分が多くなり、顔をでかく写さざるを得なくなるということだ。そう信じたい。
右も左もわからぬばか者のといいますが、私はまさにそうであることが最初の数ページで発覚したため、とりあえず買いました。保守主義とか、リベラルだとか、そういった言葉の意味を知らなかった。というか、勘違いしていた。恐ろしいことです。知っているつもりになるということは。
花火のあとのようにさびしい。
今日は久しぶりにクライミング。ペットボトルが開けられないくらいに手の力がないのはいつものこと。全然進歩しないけど、楽しいから構わない。
帰り道、いつも逃げているばかりいる家の近くの白猫、どうせ今回も逃げると思いながら手を出したら寄ってきた。触れた。嬉しい。隣にもう一匹白い猫。そいつにも手を出したらそいつは逃げた。諦めてもいかんが調子に乗ってもいかんのだと思った。
夏休みに入って困ることの一つは、いつ昼ごはんを食べたらいいのかわからないことだ。朝も遅くなり、授業もないから昼休みというものが存在しない。授業があったからといって昼休みにご飯を食べていたわけでもないのだが。腹がすいたらご飯を食べようと思っていると、少し腹が減っている時が一番集中できるのであるが、本来その集中力は食事を探すために研ぎ澄まされた生来の本能であるわけであるから、集中力がなくなったときには、食事を探すだけのエネルギーも残されていないのである。したがって、腹は減っているけれども、何を食べたらいいのか決められず、そして顔は能面のようになり、散々悩んだ挙句にどうでもいいような高くてまずい飯を選んでしまうことになるのである。ついでに、どうでもいい散在をしてしまうのである。空腹のあまり人生を悲観し、ひょっとして自分に必要なのは文学ではなかろうかと勘違いし本屋に立ち寄り、芥川龍之介とか、太宰治とかを買ってみようかと思いつつパラパラめくっても空腹のために頭に入ってこず、これはいかん、いま必要なのは直接心に響くものだ、詩だ詩だ。といいポオ詩集やゲーテの詩集を見てみるものの、訳がかたくて心に入ってこない。しかたない、現代詩を探せ!といい手に取ったのは谷川俊太郎であるが、だんだん10文字程度で改行してあって、下半分は白いところばかりの本にお金を払うのは馬鹿くさいのではないかと思い悩み、今自分が必要としているのは本ではないと、本屋をすごすごと出てくるのである。そして、やはり音楽だと思い、レンタルCD屋に入ったところでCDを返そうともってきていたことを思い出し、返却して満足して、CDを借りることなどすっかり忘れてDVDでも見てみようかとDVDコーナーにいくも、夏のホラー特集に恐怖を覚え、頼むからそんなに目を剥いてこっちをみないでくれと逃げ惑うと、恋愛コーナーにたどり着き、男一人で恋愛映画を見ている姿を想像してあまりの情けなさに涙が出てきて、結局行き着くところがアクション映画なのであるが、アクション映画は予告編を見ると見てみたいと思うもののDVDのタイトルなんて見ててもドカ〜〜ンとかそういった雰囲気は皆目伝わってこないのであって魅力がまったく感じられない。最後にたどり着くのは真面目な映画。ここを通り越したらカーテンの向こう側しかないのであってそんなところに行く気は毛頭ない。ましてや蛍光緑のTシャツを着ているのである。しかし引き返しても借りる映画はない。結局たいしておもしろくもなさそうな映画を借りることになるのである。
これから見るので感想はいえません。しかも当日返却でレンタルしてしまったので意地でも今夜見なければならない。目にとまったというのだからこれも運命だ。
そういや、コメディコーナーを完全に見落としていた。空腹だとそんなものだ。
今日の衝撃の一つはマイコンドライは単なる弱冷房だったという事実を知ったことだ。嘘かほんとか知らないがネットに書いてあった。嘘だと信じたい。
世の中は策謀と欺瞞に満ち溢れている。騙されてばかりでも真実には近づかないが、疑ってばかりでも真実には近づかない。かといって疑いながら信じるという時点で裏切りは始まっている。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
強く生きます。
音楽を聴きながら少し心を休めよう。
セクシーな声。
PVの落書きを二人で描き加えていくのが好きだった。
beautiful boyが好き。それも「陽のあたる教室」
陽のあたる教室 / リチャード・ドレイファスで見て以来なのだけれど。懐かしい。あの映画、いつ見たのだろうか。
レンタルばかりだから初めて聞いてから借りるまでに時間差がある。久しぶりにあったみたいで嬉しい。そう、嬉しい。
トイレに行こうと思ったら窓がルビーグレープフルーツ色に輝いていた。綺麗な夕日が見えそうな気がして走って屋上にいった。太陽はいつまでもそこにいるようで一瞬で消えていく。確かに綺麗な夕日だったので携帯を取り出して写真を撮ることにしたが、金網が邪魔になり、ビルが邪魔になり、なかなかうまく写せなかった。金網越しの夕日なんて絶望的である。結局金網によじ登って色々な障害物を避けながら撮った。薄暗い雲空の左隅だけほんのりと赤い写真になった。きっと撮ったことすら忘れてしまうだろう。ふと見返したときに何も感じず消してしまうかもしれない。そんなことは気にしない。
今月のみんなの歌のヒットは「おはようの歌」。朝聞いてなかなか気分がよくなるわかりやすい唄ではないかと思ったのに、今書こうと思ったら歌詞が思い出せない。タイトルすら「太陽の歌」だと思っていたくらいである。「おはようのようはなんのよう」だったか「たいようのよう」だったか。何でいいと思ったかすら思い出せない。次に聞く偶然を待つよりは明日本屋に行って確かめたほうが早そうだ。
今日は花火大会があったらしく、浴衣を着た人を多数見かけた。今夜は月に雲がかかっている。明日は雨だきっと。