夏の名残を惜しむかのように朝顔が咲いていた。夏の間は見ることができなかったのに,いまさらになって朝顔を見た。とても薄い青色で,切れ目が一つ入っている朝顔だった。行き返りに一瞬見るだけだから,のんびり眺めることはできないけれど,それでも和む。もう夏の終わりというよりも秋の始まりのような感じだけれど,空気の柔らかさからすれば夏の終わりのほうがまだ強いような気がする。色からしても。秋はもう少し赤い。まだ少し青い。
最近どうも会話が下手なようで困る。でも,ベトナムにいって知ったことは,生きるために必要な会話というのは驚くほど少ないということだ。つまり,会話は生きるためのものではなく,ほかの何かのためなのだ。逆に,生きるために必要なものは,会話なんかじゃなくて,信じることだったりするんじゃないかと思う。
これはベトナムで行ったハロン湾という世界遺産。まるでドラゴンボール。
![DSC00969[1].jpg](http://blog-imgs-41.fc2.com/w/a/s/wasedataro/DSC00969[1]s.jpg)
日本のニュースではミャンマーというが,ふとBBCを開いてみたら,Burmaとある。
ベトナムで笑えたのは,サッカーの試合があったときに,日本の相手は「クワタ」だという。クワタってどこなのだということでいろいろ推測をした。たぶんクエートじゃないかと僕は主張したのだが,どうもカタールだったらしい。
なんとなく似た音だと,聞こえ方が地域によって違うのだと楽しくなってくるが,ビルマとミャンマーの違いはあんまり面白いと思えない。
今日は,3時からの授業まで時間があったので,ほんの少し自習室で寝ようと机に突っ伏した。そして,起こしてもらいました。神に見えました。危うく寝過ごすところでした。
昨日が中秋の名月だったのだが,今日が満月なのはどういうことなのかと思う。
たまたま本屋で見つけた本である。前半では,会社法のわけわからなさについて文句をいい,後半では,結局訳わからんというのは自由度が増すということだから,大金はたいて専門家を雇えば,いい会社を造ることができるともいえる,といったような,批判的立場で会社法の問題点について書いている。
浜辺陽一郎の書き口は大変読みやすいので,これを見つけたときはいいものを見つけたと思った。
大学時代の講演会や,授業で,きいたことのあるような批判が,今,本になっている。あの頃は,ほとんど理解していなくても,わくわくしたものだ。
今日は中秋の名月。ようやく旅の疲れが取れてきたみたいです。明日から授業開始。対人恐怖はいまだ治りません。しばらくは口数少なく生きようと思います。言葉は誤解と対立以外の何も生み出さないのではないかと思います。
自分で読んでいても面白くないのだから,よっぽど詰まらんブログになってしまったのだなあと思う。たった二週間で文章がかけなくなってしまうのだから驚きだ。あせらずまた元に戻していくことにしよう。
後期の科目登録期間に鼻息が荒くならないというのはいいことかもしれない。
それにしたって帰国してからというもの,恐ろしく眠くて眠くてたまらないのである。全身が睡眠を欲しているというか,電池切れのように頭と体の動きが停止するのである。
お風呂に入ったらちょっと元気になったので少しベトナムについて書き足すことにしよう。印象としては,まじめな人が多いなあ,ということである。確かに,お昼休みが長かったり,仕事中におやつしてたりする人は見たが,どちらかというと,食事中も仕事場を離れない人が多く,客が来れば相手をしているのであるから,まじめなんじゃなかろうかと思うのである。それと,思ったよりきれいだということ。道路はほとんど舗装されていてがたがた言うことはなかったし,ポイポイ道端にごみを捨てているように見えても,ごみはあまり落ちていない。しょっちゅう掃除係のような人が道路を歩いてごみを集めている。
旧市街という小さな町にいたからかもしれないが,すごしやすかった。
もう少しスマートに生きる方法を学ぼうと思う。僕は思った以上に偏屈であるらしい。
何度伝えようとしても言いたいことが伝えられなくて,いい加減いやになって,あきらめたところで,僕の言いたいことを書いている本が見つかったりすると,好きな人に突き放された様な気分になる。でも,そんな本は,必ず僕が言おうとしたことより一歩先のことを言ってくれているから,敗北感を味わいながら読むのだ。
きっと,前も同じことを書いた。でも,文章が違えば感じ方も違うはず。感じたことは何度でも書くことにする。
世の中の見え方が少し変わる。友達をなくしそうで少し不安だ。自分を見失わないようにしよう。
誤解のないようにものを伝えるのは想像以上に難しいことだ。
ベトナムどうだったと聞かれて,いい国だったよと即答できるのは嬉しい事だ。

元気です。とりあえずご報告までに。今回は2キロ減くらい。少しはタフになったかな。
携帯での連絡は取れません。御用の方はジーメールによろしくお願いします。たまにはチェックできると思います。
今日で再試験が終わりました。ええ,嫌な予感がします。どうも痛いミスを犯したことが発覚したものでして。まあ,仕方ありません。気づかなかったのですから。
そんな気分を一新しようと,芸大美術館に行ってきました。
http://www.geidai.ac.jp/museum/
よかったです。部屋を再現しようとする試みがなかなかよかったです。持ってこられなかった部分は,複製といいつつ,結構しっかりした写真プリント複製だったので,よかったと思います。
なんか,すっごく,いい加減なお参りが紹介されていまして,流し樽というのと,参り駒だったかな。前者は,海にお酒を入れた樽を流して,「金比羅さん」と旗をつけておくそうです。そうすると,船乗りが見つけると,金比羅さんのほうにながれるように,適当に突っついてくれるそうです。そんで,近くの浜辺に上がるとか。ほんとかよ。
もっとすごいのが,参り駒(ちがったかな?)。犬の首に「金比羅参り」と書いて,中にお金を入れて放すそうです。そうすると,見つけた人が,中から金を抜いて,えさをやり,金比羅さんのほうに追いやるのだそうです。そうやって,金比羅さんに来たら,坊さんが,犬の首に「完走証書」をくれるそうで,それをぶら下げてまた帰ってくるとか。ほんとかよ。
で,併設で,広重やっていて,知っている場所の絵が多かったので,非常に親近感が沸きました。
そして,すぐそばの建物で,芸大生の自画像がやっていました。ある作品が,ゴム版を丸めたものだったのです。なんじゃい,ちゃんと伸ばさないと見れないじゃないかと,普通に伸ばそうと手にかけたとたん,「恐れ入ります・・・・」といわれてしまった。完全に忘れていた。触ってはいけない作品だったということを。普通に,なんの意識もなく伸ばそうとして両手で広げようとしてしまった。うう。ごめんなさい。
この夏,ぜんぜんいけないかと思いましたが,とりあえず,ルドン展と,金刀比羅だけはいけたんで,ま,いっか。あとは秋に期待。
通学途中,晴れていたのに,突然ざあと雨が降り,傘を差すまもなくずぶぬれ。傘をさすとすぐやむ。
突然雨が降ったとき,あまりに予期していないと,文字通り「右往左往」する。雨宿りできる場所を求めていったり来たり,傘をさそうとかばんを開けたり,その前に雨宿りをできる場所を探そうとしたり,もう,意味不明に右往左往。
帰り道,道路が乾くほど雨はやんでいたのに,歩いていると,また突然ざあと雨が降る。傘を手に持っていたため,道路上にいる人の中で一番早く傘を差した。
これぞ学習効果。
山ほどの悪夢を見て,昼過ぎに目が覚めた。
久しぶりに眠れぬ夜。布団に入ったのにまったく眠くならない。あきらめて久しぶりに深夜テレビを見た。映画をやっている。キルビルだ。深夜映画も久しぶりだ。不思議と深夜映画は面白い。周りが静かだからだろうか。15分程度しか見ないのはいつもどおりだ。
寝られずに,冷蔵庫に飲み物を取りに行き,テレビをつけ,深夜映画を見る。
なんとなく懐かしい気がした。
そのあと,昔の僕は何をしていただろう。
学校のトイレが新しくなった。明るくなって,ヲシュレットになって,いろいろと自動になった。古いトイレはよく詰まっていたので,水道管が死んでいたと思われる。だから,配管工事自体は許せる。しかし,ついでにいろいろ変えてしまった。
古いトイレのほうが好きだった。
以下に理由を示す。
第一に,新しいトイレは臭い。どこでも最近のトイレはそうなのだが,小便臭いのである。頭がくらくらする。古いトイレのほうが臭くないと思う。おばちゃんが全部流して洗ってくれていた。今のトイレは全体を流して洗うようにはなっていないのだと思う。
第二に,流しが自動で水が出るようになっていて不便である。だいたい思ったときに水は出ない。いらいらいする。出る水の量は少ない。顔を洗おうにも不便だし,頭を洗おうにも不便である。手を洗うにも不便である。石鹸で手を洗っていると勝手に水が流れて石鹸は流されてしまうし,石鹸を流そうと思うと水は止まる。だいたい,手全体が洗えない流しというのは意味がわからない。指の先っぽしか水がかからないというのは新しい流しにしてはひどいと思う。古いんなら許せるが。
第三に,鏡がゆがんでいる。やたら大きな鏡にしたのはいいが,鏡のゆがみが際立ってしまい,気持ちが悪くなる。せめて縦に歪めてくれれば痩せて見えるのに。
第四に,個室のトイレが温便座になっている。前の人のぬくもりが残っているようで気持ちが悪い。
第五に,ヲシュレットである。誰の尻を洗ったか知れないノズルで自分の尻を洗われると思うと気持ちが悪い。しかも,トイレットペーパーでぬれた尻を拭こうとすると,紙が溶けていって余計に気持ちが悪い。
一部の壁に,古いトイレの名残がある。その青いタイルの壁を見ながら用を足すのがせめてもの慰めだ。古いトイレがよかった。
あまり現代社会に適応できない早稲田太郎です。
そうそう,紙が三角形に折ってあるのは,掃除が終わった証拠だと思っていたが,どうも,ご丁寧にも使用後三角形に折る人がいるらしい。いろいろなところにフェイクはあるものだ。
いや,思い込みがよくないのだ。
先月の私の履歴書を読んで,俳句に少し興味がわいた。それにしたって30日だったか,病気とともに生きる姿には感動さえ覚えた。
何してるわけでもないのにこの時間。どうしたんだ。