続早稲田太郎的日記

続早稲田太郎的日記

本屋さん

ふらふらと学校の周りを彷徨し,懐かしい雰囲気の漂う本屋に立ち寄った。音楽の流れない静かな店で,温もりのある木の棚。棚は出版社別ではなくて,作者別に本を並べていて,平積みのところにはすべて雑誌がおいてあった。置き方がとても斬新だった。結局買わなかったのだけれど,いいお店だと思った。気付かぬうちに色々なことにとらわれ過ぎている。そしてアイデアは誰にも平等に生まれているものなのだ。ただ,表現できる人は少なく,評価する人も少ない。ただそれだけのことだと思う。
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macairの曲

動画初挑戦



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行司がでかいしパスタはうまい

昨日の横綱対決を楽しみにしつつ,ニュースで一瞬見たのだが,行司がずいぶん大きな人だと思った。言うまでもなく相撲はよかった。どこが良かったかというと,あえて一つ挙げるならお互いが相手のまわしをぐっとひき上げようとした力でどちらも5ミリくらい浮いてるんじゃないかという状態でじりじりと二人で移動していった瞬間がよかった。たとえて言うならば,お椀が机の上をすべっていくみたいな感じ。そのままスポーツニュースを見ていたら,福士の根性を見せられ,びびった。あれが根性だ。

そして今日は,昼にパスタを食べた。僕がパスタを選択するのは非常に珍しい。なぜかそんな気分だった。いい店だった。地図の載せ方を忘れてしまったが,新宿通り四谷三丁目付近のAcafeという店。コーヒー180円。飲んでないけど。そんな感じのお店。

マニアックな人には何いってんじゃボケといわれるかもしれない。が,気にせず言おう。音楽がよかった。なんとも好きな曲が流れていて,スピーカーから流れる音も,少しアコースティックにくぐもった感じ。ジャミロクワイでさえ落ち着いた感じに聞こえてくる。机も,深い色をした木の机。やはりこういう色が落ち着くし,合成っぽくない質感がいい。椅子も布張りの木の椅子。ちょっと汚れているけれど,そのくすんだ菖蒲色がまた落ち付いたりする。確か,電気のカバーもちょっと凝ってる。

どのお店も時の流れが止まったような既製品ばかりがあふれているから,時の流れが感じられるものがあると落ち着くのかもしれない。

茸と鶏肉のクリームスープスパゲッティを頼んだのだが,久しぶりにシイタケを食べて,普段はあまり好きじゃないのだけれど,シイタケの香りって結構いいじゃん,と気づかされた。少し苦手意識があったものを上手に料理して出してくれるほど嬉しいことはない。それは食事に限ったことじゃない。たいがいのお店では茸というとシメジが多いのだが,それだけじゃなくてシイタケとエノキを使ってるあたりがポイント高い。チキンもおいしかった。スープスパゲッティというのはあまり食べたことがなかったけれど,スパゲッティ食べつつ,クリームスープを飲んでいるのと同じかと思うと,なんだかお得な気がした。


店員も,バイトというよりも自分のお店という感じが漂っていて,安心する。そこのおばさんは草間弥生とジュンコアシダを足して二で割ったみたいな外見。つまり,結構かっこいい。昔のきききりんみたいなモダンなかっこよさ。タバコを吸ってるのがかっこいい時代のかっこよさ。その人吸ってないけど。お客も,オノヨーコみたいなかっこよさがにじみ出ているステッキをついた背筋の伸びたお婆さん,ちょっとのんびりした感じのおじいさん,コーヒーだけ飲みにきた脂の乗ったおじさん,プリント持って入ってきた若手会社員数名,カップル,と,ほんとにいろいろなタイプが集まってきては出ていく。ふらっと入った人までもが常連のよう。

気取ってないのが好きだ。

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夜遊びカラス

ここ数日はとても寒いと思います。比例しているわけではないのだろうけれど,月がとても明るく感じられます。月に照らされて夜空も見通しが利くのか,カラスがわあわあ言いながら飛んでいきました。こう寒いのに,夜な夜な遊びに繰り出すカラスの姿に元気が出てまいりました。

ふと早稲田太郎と検索してみたところ,昔書いたブログがヒットしました。ずいぶん雰囲気が違うようにも思えるし,何も変わっていないようにも思える。ただ,少し懐かしい,そして,その言葉は少し足らないけれど,その情景とか,感じたものは,しっかり思い出せて,今の自分には伝わってきます。結局のところ,グリンスパンが書いたように,どう受け止められるかが問題なのでありましょうが,問題は「誰に」というところなのだと思います。少なくとも今の僕には伝わる,しかしそれは求めていたことなのでしょうか。

今日は,中吊り広告を見ていて,ふと,伊東みさき(すみません,漢字がわかりません)がきれいだと思いました。今まで綺麗だと思ったことがなかったのに,ふと綺麗だと思いました。そうすると,それ以降に見る伊東みさきはみな綺麗に見えてきます。結局のところ,私たちは常に何かを判断しているのではなくて,一度判断したらそれをしばらく確認することなく維持しているのだと思います。それは経験からしても,認めやすいところだと思います。では,いつ再確認するのか。評価が変わりうるその瞬間はいつ訪れるのかを知ることができたら,世の中の見え方もの少し変わるのかもしれません。そして,どこを評価するかを知ることができたらなおさらいいと思います。

少なくとも,学校では,試験が評価される瞬間であることは間違いありません。

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ゆきだ〜

ちょっと寝坊したけどまだ雪だ〜〜!!!!
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楽天的な夢

ウンチをバケツで投げあうという壮絶な学園紛争の最終決戦は小学校のグランドでのサッカー大会。普段サッカーしない早稲田太郎の絶妙なヘディングシュートで勝利し,小学校のときのクラスメイト達と喜びを分かち合い目が覚めた。
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タダ電話

ソフトバンクのニュースを見た。1年以上学生の人は3年間基本使用量がタダになるらしい。新規の人に限るみたいだけれどひょっとしてすごく安くなるんじゃないかと思う。みんなでソフトバンクになれば,9時までは電話タダなんだよなあ。どおっすか?友達の輪わわわ〜〜。

ぜんぜん違うこと書く予定だったけど,全部吹き飛んでしまったのでした。

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寝た

バクスイした。睡眠のリズムを知ることが大切なんていう話を聞いて,調べてみようかと思ったらどこまでも寝られて,しかも変な夢をたくさん見た。

薄暗い空の下,それなのに灼熱の砂漠の真ん中に小さな塔があって,その塔の壁には大きな鍵穴と,ばらばらになったでこぼこのブロックのようなものがいくつも転がっていた。ブロックを一つ一つ大きな鍵穴にはめ込んでていくと鍵が開きそうだった。ひとつ埋めたところで,5分待てば答えがわかるという年老いた声が聞こえてきた。手を休めて待っていたら,5分後にもう一人自分が現れた。すべてを悟り,崩れ落ちた。鍵を開けてもその先には砂漠が続き,5分歩けばまたドアにたどり着く。次々と現れる過去とも未来とも思えない自分に出会い続ける。すぐそばに地平線がある小さな球の上を歩き続けるみたいに,消えては現れる小さな塔。始まりも終わりがあるようで決して抜け出せない永遠に繰り返す思考のループに自分が入っているなんていうのが答えだった。急にその頭の中から飛び出して,病室のベッドで全身緑色になって髪の毛が全部チューブになって機械につながって虚ろに半分目を開いてうつぶせに寝ている自分を天井から見下ろして,それから目が覚めた。

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電車男!

途中しか見てないのだが,いい話じゃないか!!!!
メールがただのメールじゃなくて,砂糖がただの砂糖じゃなくてなんて言わせてみたいものよと思いつつ,自分ってひょっとしたらオタクなんじゃないかと不安になるようなところもあったりした。
遠くの見知らぬ誰かが支えてくれているというのが,有り余る寂寥感に不安になるとき,微量ながら安心を与える。

ペンが欲しくなる。ついついネットで調べてしまったりして。試験前になるとどうでもいいことが気になりだして止まらない。掃除しようかな。

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勝利のロード

巨人の投手木佐貫が未来創造堂というテレビ番組に出ていたのだが,彼は登板する日には勝利のロードというのを通るらしい。その道の一部が,駅から学校までの道だった。地図で説明していたので,だんだん知っている場所や通りが出てきて,「ここの学校を右折」という言葉が出たときには嬉しくなってしまった。

市谷のカレーの王様にはその昔は木梨が食べに来ていたそうだ。見かけつついったことなかったけど,今度いってみようと思う。
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レットイットビー

(誤訳を承知で)
まぢへこんでひきこもってたら
メアリー母さんがよってきて
ぶつぶついってるし
放置プレーって

目の前真っ暗でがびーんのときに
メアリー母さんは真正面に仁王立ち
またぶつぶついってる
放置プレーって

放置プレー
放置プレー
放置プレー
ありがたいお言葉,それが
放置プレー



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イマジン

考えてもみてよ天国に行けない世界を
意外と簡単だから
悪人も地獄にはいかない
空虚な空しかない
世界中の人が
その日暮らしで精一杯


国は何もしてくれなくてないも同然
何するんだって傍若無人でいい
死ぬほど大切なものもみつけられなければ殺す価値のあるものすらない
宗教に救いを求めることすら出来ない
平和の中に暮らすって事を想像してみよう

何一つ自分のものなんてありえない世界
もしそんな世界を想像できたら
がむしゃらなんてかっこ悪いしハングリー精神なんてもういらない
世界中で兄弟げんか
世の中すべての人が
持分権を主張し始めることを想像してみる

たぶん被害妄想だといわれる
でも意外とそういう人多い
一緒に患者になれば
世界はひとつだよ

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どうもお久しぶりです

ウイルスバスターを更新したらネットにつながらなくなることが増えましてブログ更新頻度が減っている次第であります。人の日記をチェックする頻度も減ってしまったのが残念でなりません。

くだらない発想はたくさん浮かぶわけですが,言葉をひとつ書いた瞬間にその言葉の周りにあったイメージはほとんどが吹き飛んでいくわけであります。言葉には文法がつきものですから,あるひとつの単語を書いた時点で文法の枠にとらわれてしまって,同時にいくつも浮かんでいたイメージはいったん消えざるを得ず,そして二度とよみがえらないことも多いのであります。アイデアはどんどん消えていってしまうから書き留めるほうがいいということもありますが,書き留めることによって消えていってしまうイメージもたくさんあるのであります。書き留めなかったら残っているのかと言うとそういうわけでもないのですが,言葉くらいで簡単には吹き飛ばないくらい存在感あるアイデアになるまでは書き留めない我慢も必要なのかも知れません。文字に頼るというのはたいして権威あることではありません。口伝の文化は消滅の危機に瀕しておりますが,お経だって諳んじているわけですし,テレビなんぞはテロップない限り文字ではない言葉や音が一瞬で日本中を巻き込んだりするわけであります。踊りだって何だってそうだということは多くの人が知っているわけで,改めていう必要もないのかもしれません。

ある中吊り広告を見て,そして家に帰って,それでテレビをつけたらグリードと言うミミズのお化け映画をやっていました。
「いや〜こわかったですねえ〜。ぶるぶるしてしまいましたね〜。」って呟いて,淀川長治になりきって「サヨナラサヨナラ。サヨナラ」なんていってみたりしてしまいました。

まあどうでもよいのですが,ヒロポンと言うのが覚せい剤だと言うことを先日知りまして,確か人間失格に出てきたのはヒロポンだったと思うのです。あれを読んだときに,覚せい剤と書いてあったら感じ方がぜんぜん違ったろうなと思いました。それを読んだときにはヒロポンはケロリンと同じようなものに感じられたわけです。つまり僕はその悲劇的なシーンであの黄色の桶が頭に浮かんだのですよ。

それで突然思ったのですが,結婚するなら犬か猫かという問いであります。猫もかわいいけどやっぱり犬かなあと思うのですが,そのとき大事なのは僕は何かということだと思います。種の違いを超えることはできるのかという問いがあるわけです。犬なのに猫と結婚したらちょっと大変かもしれませんし,若しかしたら蛙かも知れないし,カラスかもしれない。でも世の中いろんなのがいるわけで,同じ種を探してばかりじゃ埒が開かないんじゃないかとも思うわけです。別にカラスが蛙と結婚しようが,猫と豚が結婚しようが,かまわんとすれば,僕が何者かということは関係なくなります。もっとまじめな話だった気がしたんですが,言葉を並べたとたんにこれです。だから困ります。ふと思ったのですが,なんで人間じゃいけないんでしょうか。

今日,ある音楽が流れてきて,言いたかったことを先に言われました。なんだ,自分だけじゃないんだと,少しほっとしながらも,なんで先に言っちゃうのよとちょっと残念でした。でも全く重なってるわけじゃなくて,一歩先のことを言われたり,自分の頭に浮かんでることはちょっと違う状況だからもう少し違うことを言いたいとか,いや,俺はあんとき勇気がないんじゃなくて我慢したんだよとか,ああ,でもそうだったのかなあとか,そんなことを考えているうちに曲は終わってるのです。日本語の曲,だからすごく疲れるけど,ほっとするのも確かだなあと思いました。日本語上手ですね。口で言ってるだけなのか,それとも書き言葉なのか,少し気になったりして。

広辞苑買っちゃいました。最初に調べた言葉は「馬鹿」でした。


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ファウスト

ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)
(1958/01)
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新潮文庫で読みました。ようやく読み終わりましたが,たぶんほとんど読んでいません。最後までページをめくっただけです。いつファウストが死んだのかわからず通り過ぎてしまったほどです。ほとんど詩のような文章が続いているのでちと気持ちを入れるのが難しいです。

文句を言いながらも最後まで読んでしまったのですからなんともいえません。言葉はほとんど頭に残っていないし,絵も浮かばない,それなのに,ぼんやりと考えてしまうきっかけをもらえたというのはそれだけでもよかったと思います。

たぶん感じたことはぜんぜん一般的に言われていることとは違うと思うけれど,少しだけ書いておこうと思います。

何かにかかわり,得ようとすることすべては崩壊していくものだ。ただ眺めていることだけが幸せで,あるいは,得ようとしたか得たその瞬間にしかその幸せはないのであって,手にした瞬間から腐敗は始まっているのだと言うようなことなんでしょう。しかもすべては幻のようなもの。小さなことが大きく見えれば,求めては得て,失い苦しみ,満足することのない一生が,求めることも得ることもなければ,失うことも苦しむこともなく,連綿と連なる個を失った大多数の集合体によって営まれる時間の流れを静止画として目に焼き付けることが幸せになったと思ったのだろうと思いました。

しかしそこに行き着くまでのほとんどの欲望の対象は女の人です。結局そこなんでしょうか。

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新春の決意

速攻挫折したのでありまする。
髭をそる。襟付きの服を着る。たったそれだけのことを決意したのにもう髭は伸び,パーカーなのでありまする。
ブログも週一回にしようなんて思ったのに,もう更新してるのでありまする。

僕は日本人を卒業したと思います。新年早々,学校で人に会ったのに,「おめでとう,今年もよろしくお願いします」が,気持ち悪くていえませんでした。年が明けただけで人間関係リセットですかい,と斜めにものを見てしまったのであります。「おめでとう」が新年おめでとうなのか,誕生日おめでとうなのかもいまいちわからないのであります。新年おめでとうと言われて,ありがとうと答えたら笑われるのでありまする。その癖して,年賀状は気合を入れて手書きしてみたりしてます。住所を知っている人が少ないというのもありますが,ちょっと好きなのであります。ただそれだけなのだと思います。日本の文化は支えられないと思います。でも好きなことは続けると思います。


新年早々料理が出来る自分をアピールしようと思い,家でズッキーニをいためようとしたらフライパンが火を噴いたのであります。トマトスープを作ろうとしたら,温かいトマトジュースが出来上がり,塩を加えたら飛び上がるほどまずいスープが出来たのであります。幸先いいスタートであります。世の中,意外と難しいことが多いのであります。温かいトマトジュースと,トマトスープの違いはどこにあるのでしょうか。塩じゃないと思います。料理の出来る男にはしばらく熟成が必要なようです。よいですよいです。生のトマトと,生のキャベツをぱりぱり食べながら過ごすと言うのも自然的な生き方でいいと思います。料理が出来ないのではなくて,しない人になろうと思います。火は自然を壊します。我々は火を捨てなければなりません。信念さえあれば,いかにくだらないことでも許されるのであります。それは現代アートを見ればよくわかることです。

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新年の挨拶

皆様今年もよろしくお願いします。


このブログってやたら高機能な文章作成機能があるということを知りました。

無駄に表を作ってみる無駄に表を埋めてみる
ネズミ年ちゅうちゅう
一月睦月

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