ひさしぶりにスーパーカップのチョコミントを見つけたので,ついつい買ってしまったのだが,なんと20円も値上がりしていた。ひどいと思う。
今日はなんだか忙しいくらいに不思議なニュースだ。
オハヨーヨーグルトの一部製品が自主回収とのニュース。昨日買ったのがオハヨーヨーグルト。回収された丸ごとイチゴじゃなくてキウイどっさり。どきどきしながら食べた。まだ大丈夫。
で,テレビチャンネルを回していたら,あの顔の長い電波少年的なすびが女装してドラマに出ていた。顔が長すぎて画面からはみ出ていた。
さらにチャンネルを回していたら山崎努を久しぶりに見た。渋いね。
船場吉兆が廃業だそうだ。廃業って言葉はあまり聞かないものだから,どんなことなのかよくわからない。しかしあのお婆さん嫌いになれないキャラクターなんだけどな。
ネパールが共和制になるって。王制をやめるのだそうだ。国の統治機構そのものを変えるというのはずいぶんドラスティックですごいものだと思った。しかしよく考えるとすっかり忘れていたが,ネパールって結構大変だったんだった。王宮内で前国王が銃殺されて,現国王が強権政権を作って,毛派と武力闘争になっていたのだった。毛派と他の政党が手を組んで民主化が行われるらしい。ちょっと違う事実関係だったら許してください。
で,中国が自衛隊に物資輸送の要請をしたそうだ。目を疑った。東洋事情は複雑怪奇。事実関係をさらに詳しく調べる必要あり。
さらに続く。
コマ劇が閉館する。ありえない。新宿コマ劇。コマ劇前といえば早稲田生の集合場所。
日々刻々と世の中は変化する。
なんとなくいらいらする。このイライラを何とか紛らわそうと色々してみた。牛乳を飲んでみたり,辛いものを食べてみたり,チョコレートをかじってみたり,コーヒー飲んでみたり,メールうってみたり,話しかけてみたり,とりあえず寝てみたり,顔を洗ってみたり,音楽を聴いてみたり,走ってみたり。
たぶん,どこかを蚊に刺されたのだと思う。ただ,出始めの蚊は小さくてどこを刺されたのかわからなくてかゆみのみが残るのである。たった一箇所刺されただけでこれだ。満たされぬ思い。思いっきり掻きたい。
今日の日経新聞の文化面のエッセーが思いのほか面白かった。東大ロシア文学の教授の沼野充義。「エヘン」なんて言葉,久しぶりに読んだ。「だいたいは」云々に抗するべきとのメッセージには勇気付けられる。安馬にもね,琴欧洲にもね。
この「だいたいは」というのは恐ろしく大きな口を開いて追いかけてくるのである。気付いた上で対処するというのが高等技術であるが,気づかないというのもこれまた高等技術だ。
今夜は帰り道,よく立ち寄るスーパーに入ろうと思ったら,閉まっていた。そこでふとした思い付きで一本先を曲がったら,たこ焼き屋がオープンしていた。ラッキーと思って買って帰ったが,それほど美味しくなかった。人生万事塞翁が馬。ちなみに,たこ焼きのたこの六割はアフリカ産。
随分前に撮った,路傍で見つけたハート。

イルージョン教育と間違えた。こういう感性は大事にしようと思う。
ズッキーニの苗が売っていたので買ってしまった。ズッキーニはすごい。この間テレビで見たけれど,あれは想像を絶する生え方だと思う。頑張って見せて欲しいその姿。実は,ずっと気になっていて,種を売っていないかあちこち探していたところだったから,苗を発見した瞬間は小躍りしてしまった。花屋のおっちゃんが「ズッキーニだよ!すごいんだよズッキーニは!」といったものだから,もう危うく握手しちゃいそうな勢いで「これください!すごいよすごいよ!!」と叫んでしまった。夜10時。
ズッキーニといえば,かつてはそんなに好きではなかった。嫌いではないけれど,取り立てて食べたいと思うものではなかった。しかし,高校の親友と富士山に登ったとき,彼の用意したズッキーニがやたらと美味しかった。それ以来,ズッキーニにはまってしまった。手軽だし,かぼちゃときゅうりの間みたいでほくほくして美味しい。バターかオリーブオイルで炒めるだけで美味しいのだから。
といっても,ほとんど料理をしない早稲田太郎は,ズッキーニを隠れて食おうと思ってフライパンにズッキーニを敷き詰めてオリーブオイルをかけて火にかけたら,炎が,火柱が換気扇に吸い込まれていったという一件以来,隠れて食べるのはやめました。
最近あまり夢を覚えていないのだが,今日はたまたま覚えていた。プールで泳ぐ夢。泳ぐ夢は最近多い。そして,かならずぽちょが登場する。それは小尻がもてるというコメント以来だ。いや,別にぽちょに襲われそうになったりする夢ではないので安心してください。
そういえば小尻が持てるというコメントを真に受けて,ちょっと細身のジーンズをはいてみたが,何の変化もない。で,今日は暑かったので,半ズボンを穿いてみた。女の子がミニスカートをはくともてるように,半ズボンが持てるかもしれないと思ったが,気付いてもらえなかった。どちらかというと笑われただけだった。
フェイスブックの日本語版のニュースを見たので久しぶりにログインして早速日本語にしてみました。結局意味がわからなくて放置していたのかなあ。このブログを取り込めるようになっていたようなので,設定してみました。フェイスブックではほとんど友達いないけどね。こうやって読者の潜在数を増やすことにどんな意味があるのだろうとも思います。友人に近況報告できればいいかな。読んだ人が少しでも楽しい気分になってくれていたら尚更嬉しい。
ザトウムシには目がない。だから,座頭なのだということに改めて気付いた。ザトウクジラも座頭からきてるのかな。ザトウムシを久しぶりに見かけた。ちゃんと命綱を少し登るごとにつけながら,よっちらよっちら登っていた。なんとなく親近感。しばらくクライミングには行ってないけど。でもガリガリなのと,手足が全部で4本多い分やつはずるいと思う。
やたらと生姜が食べたくなって買ってしまった。葉っぱのついてるやつ。
ついつい頭に手を当てて踊りだしたくなるくらい辛かった。
ふと目に留まって買ってしまった。よかった。金融というと金儲け主義と思われがちだが,本来,お金の余っているところから足りないところにまわすという機能があったはず。金儲けに使うかどうかは使う人次第なわけで,非営利目的で使おうという動きがあるのは幅の広さという点でもいいことだと思う。
問題は,そんなものがあることに気付いていなかったことだ。これを読んでから思い出せば,APバンクなどは世間を騒がしたこともあって一度は目にしたことがある。見えないということは,単に気づかないということなのだろう。茂木さんの言うところのアハ体験というやつか。
金融NPOが生まれる理由というのは,意思を持つお金があるということらしい。金儲け主義の銀行に預けるよりは,もっと社会貢献に使ってくれるところにお金を預けたい。しかし,その要望にこたえるところがなかなかなかったというのが発足の理由として本書では記されているように思える。
善意というのはいたるところに転がっているが,一つ一つは小さなものだし,利用されたり,争いを生んだりすれば簡単に吹き飛んでしまう。吹き飛ばされてしまうと次からは用心してそうやすやすと善意を持たなくなる。似たようなことが最近流行の不機嫌な職場という本に書いてありそうだ。端書しか見ておらず,読もうか迷っているところだ。きっと難民問題では顕著に現れてくるところだろう。ああいったことにかかわる人は,利用されたり,争いが生まれても,貫く意志というのがあるから続くのだろう。
これに関して最近気になっているのは規模の効率性について。規模が大きい方がコストが小さくなることが規模の効率性。しかし零れ落ちてしまうものもたくさんある。その隙間をどう埋めていくかというのは注意していかなければならない。
この著者,中坊公平の闘いも書いている人だった。
時折考えてしまうところであるが,人の不幸を幸福に感じる人と,人の幸福を不快に感じる人がいる場合,すべての人が幸せになることは可能だろうか。
以前は,自分の不幸を幸福に感じる人がいれば,互いを引き合わせればよいのではないかと思っていたのだが,それは矛盾しているような気がしてきた。自分の不幸を幸福に感じるというのはありえない。功利主義的発想に立てば,圧倒的に不幸な人を一人作れば解決しそうだが,それでは問いの「すべての人」が幸福にはなれまい。
そこで,問いを立て直すことにした。人の不幸を幸福に感じたり,人の幸福を不幸に感じたりすることがある場合,すべての人は幸せになれるだろうか。
これならば,そう感じないような方策を考えればいい。それがみつかっていれば,極楽極楽。いい湯だな。
公訴時効について
焼き鏝を当て続けた場合,傷害罪の既遂時期は状態犯のため焼き鏝を当てた時点であるが,公訴時効の基準点となる「犯罪の終了」には至っていない。
なぜなら,構成要件的危険の発生は継続しているわけであるし,公訴時効の趣旨である,処罰要求の減弱,証拠散逸,長期にわたる公訴権不行使という事実による個人の地位の安定化の趣旨を害さないからである。
というような記述の,「焼き鏝」を「焼き鰻」と読み間違え,焼きたてのウナギのかば焼きを投げ続けるという犯行シーンが頭に浮かんでしまった。
台風が来るといいながら,こんなに寒いのは詐欺だと思う。
再び坊主にしました。いつも坊主なのですが。
坊主でも,髪を切るのに何らかのきっかけがあるように思う。以前は,髪の毛が耳に刺さってかゆいからとか,ぼさぼさしてむしゃくしゃするとか,そういった物理的理由によることが多かった。しかし最近は,ちょっと違うような気がする。
今日は学校で,いかに誤解を与えないように文章を書くかという視点を知った。何事においても誤解を与えないことは難しい。同時に,誤解しないことも難しい。いいほうの誤解も,悪いほうへの誤解も,誤解であることに変わりはないのだということにようやく気付き始めたのであります。とか何とかいうと説教臭い。ぷんぷん。
今日は,髪切った事に気付いてくれた人がいたのが嬉しかったです。
四川省の地震の被害が広がりませんように。最近天災が多いですね。
ちょっとしたメモ。
宥和主義。イギリスのチェンバレン大統領による対ナチス政策に代表される。戦争を避けるため,妥協や何らかの提供をも辞さない態度とされている。
平和主義。広すぎて意味不明。平和主義は宥和主義と混同されやすいとの指摘をどこかで読んだ事があるような気がする。
いや,僕はpacifismを宥和主義だと思っていた。間違っていたようだ。この「ようだ」というのが味噌で,まだ調べ終わっていないということである。このように,暫定的に立場を表明することは逃げていることの表れ。ただ一方で断定をすると,再確認を怠るという危険もある。
時折確認しないと,いつの間にやら誤りが自分の中に入り込んでいるのだけは確かだ。
僕が早稲田大学にいた頃の総長は,グローカル早稲田ニアンなる言葉を講演の度に話していた気がするのであります。
何を意味しているのか全くわからなかったのであります。
まあ,理解できないというのは,多くの場合,理解しようとしないことが原因であるわけです。
グローカルというのは,ブローバルとローカルをくっつけた造語。世界を見据えて,地道に積み上げていくことをいったんでしょうか。
早稲田ニアンというのは,たしか,以前は早稲田マンだったのが,それじゃ女性の早稲田生が活躍したときに使えないというので作った言葉のようでした。
ふと,シンクグローバル,アクトローカルという言葉が新聞に載っていたもので思い出したのでした。
今朝は久しぶりに電車で座って,ぱったりと寝てしまいました。こんな風に寝るのは随分久しぶりだと思いました。意図せずして寝る。これ実は快感。目が覚めたときは少し恥ずかしかったりするけれど,寝る瞬間が気持ちいいのです。寝る瞬間にも意識はあるようです。
明日は台風。5月に台風。
いや〜夏場所が始まりました。この盛り上がり方といったら。
今日はたまたまスポーツニュースで相撲の解説をしていました。何事も理詰めで説明できるものなのだということを学びました。やたらめったらやって勝っているわけではなく,勝つのにはやはり理由がある。偶然の勝ちはあるけれど,それを必勝にできるかどうかは理屈をつけられるかどうかだ。でないと反復ができない,ということなのでしょう。
前褌をとることの意味を今日はじめて知りました。
明日,5月9日はアイスの日。
31(サーティーワン)ではアイスの日に合わせてユニセフ募金のキャンペーンをするそうだ。
なんと夕方31にいってユニセフ募金をすると,アイスを一個プレゼントしてくれるらしい。
詳細は下記の31のフリースクープナイトキャンペーンのリンクへ
フリースクープナイトちなみに,このユニセフ募金はブルキナファソの子供のための教育資金に使われるらしい。
ブルキナファソって国知らなかったような気がする。アフリカの国と言われれば,聞いたことがあるような気も。
ところでサーティーワンの創始者は昨日5月7日に亡くなったそうだ。
ビルマ支援ってどこがやってるんだろう,やはりユニセフかなあと思ったところからこんなところに行き着いたのでした。
あ,ユニセフの緊急支援でもしっかりビルマ支援やってます。
ユニセフ募金BBCだとミャンマーじゃなくてブルマ。フランスだとビルマ。ふーん。アメリカのグーグルニュースでは見当たらない。
前半はよかったが,後半はいまいちだった。ビッグコンの方法といいつつ,結局詐欺の要件を検討する。3つの故意というのが書いてあった。騙す故意,金を取る故意の二つまで知っていたが,後者の故意を意思表示と処分行為の二つに分けるというのが著者の考えのようだった。刑事での詐欺と民事での詐欺は異なるが,詐欺罪で検討すれば,擬罔,錯誤,処分意思,処分行為,損害発生,利得発生の因果の流れになるのだから,二つ目から4つ目に付いての故意ということなのだろうか。
前半は,ホリエモンとか,村上ファンド,MSCBの問題を書いている。巷とは違った視点で見ていて,参考になった。
MSCBとは下方修正条項つき転換社債。新株予約権つき社債で,転換価格を下方修正可能なもの。始め社債で発行して,後に株式に転換してもらうのであるが,転換価格をあとから変えられるため,株式を空売りしてから転換することにより既存株主のこうむる株価下落分をすべて利益にすることができる。
大学の時には何度聞いてもいまいちしっくりこなかったのだが,ようやくわかるようになってきた。
今日は図書室で縛水してしまった。ふと目を覚ますと向かいの席の人がこれ幸いと「電気つけていいですか」と聞いてきた。きっと,目を覚ますまで待っていたのだろう。三顧の礼をもって電気をつけるお向かいさんに申し訳なく思いました。
何も進んでいないレポートに呆然とする。まるで夏休みの宿題だ。
鬼ころしというお酒のCMで「飲み友達は妻です」といっているのを見た。なんかいいなあ。と,思うのは妻役だった女性がかわいかったからだきっと。騙されませんよ私は。いくら蒼井優がかわいくても「へえ」なんていいませんからね。「女房酔わせてどうすんだ」と聞かれたって,そんな酒飲むことまで手段化するなんて風情がないよと思ったりしませんから安心してください。
などということを書いていると,ついにおかしくなっちゃったのね,と思われるか,やっぱりおかしかったんだね,と思われるかは,自由だ。
とまあこんなことばかり書いていると,馬鹿っぽいのでまじめなふりもしてみる。信頼について。信頼の要素として,好き嫌いと,予測可能性があるんではないかと思う。思ったとおりに行動してくれるというのはやはり信頼できるということだから予測可能性が要素であることは認められよう。ところで,それとは別に好き嫌いもあるのではないかと思う。嫌いな人間に信頼感は生まれないのではないか。
仮に予測可能性と好き嫌いが要素であるとすると,次にどちらが主の要素となるかが問題だ。
嫌いだが予測可能性がある人と,予測可能性がないが好きな人,のどちらが信頼できるかということを考えれば答えは出そうだ。気持ちとしては後者に傾きそうだが,やはり信頼という点からは前者になりそうな気がする。そうすると,人から信頼されるということが自分にとってそれほど評価できないことなのではないかとも思えてくる。
しかし,何が大事かということと,何が大事と考えているかと伝えることは,別問題なのだ。対内的には自己正当化と行動基準の意味があり,対外的には,他人が自分に対して予測可能性を与えて無駄なトラブルを避けるとともに,より友好的な関係が築けるようにする意味がある。わかりやすい取扱説明書を渡すようなものだろう。
こんな風に書いていると,どうにもこうにも,論理の流れが悪いということで,まじめなふりして随分いい加減だということがわかるのである。
KISSという略語があるらしい。keep it simple shit!という意味だそうだ。ちょっといい。だが同時に単純化すると見落としてしまうことがあるのも事実なのだ。だとすると,複雑なこともシンプルに理解できるということが必要になる。能力アップかあ。手順だよなきっと。
構成の美しい文章を読みますかね。とすると芥川かなあ。
それにしたって,ビルマのサイクロン被害はひどすぎると思う。なんとかならないのだろうか。
今日はこどもの日なので,やはり柏餅を食べなければらないと思って,学校近くの玉屋という和菓子屋さんで柏餅を買った。1こ190円。そんなにしたっけなあ。こんなに小さかったかなあ。やはり物価高は色々なところに影響が出ているのだと思ってみた。
でまあレポートを書かねばならないのだがあまりやる気になれなくて,モチベーションアップには社会貢献という大義名分が必要だと思いついた。そこで,ウィキペディアにまとめながらレポートを書いていったらいいのではないかと思ったのだが,仮に先生が,まさかウィキペディアからコピペしてないよね,と思って確認すると,ウィキペディアにコピペしたのに,ウィキペディアからコピペしたと思われて減点される可能性がある。ということで,断念したわけである。初めての試みは,着手する前に中止に追い込まれたのである。
朝,電車に揺られて手を引くカップル,夜中,自転車を二人乗りしながら家に帰るカップル。ほんの少しや気持ちを焼きつつ,ジブリ映画のように平和でよいことだなあと思う次第です。
つまるところ,自分はおっさんくさいのである。
原因不明である。
ふとテレビをつけたらお台場特集。お台場といえばあのマルコさんとの運命的出会いを思い出す。そういえばしばらくお台場にも行っていないような気がする。
最近少し皮肉っぽくなっているような気がするので気をつけようと思う。耳が遠くてあまり人の話が聞こえないのもなんとかしなくてはいけない。
躑躅の甘い香りに気付くようになった。
とんかつ食ってて思ったのだが,やはりうまい飯は最高だ。
先日久しぶりに食った中華料理もうまかった。
胃袋掴まれたら嫌いになることはなかろうと思います。豚さん大好き!
ニュースで話題の学割定期券誤発売。随分前からなってたらしいので,高校の時の学生証持っていって聞いてみようかな。
ええ,結果を記します。だめでした〜。過払いがないとの説明。高校の最後の定期券と学生証持っていったんだけど。割引率等を調べて本当か確かめるほどの気力まではなく。時効かかってないのは2年分くらいだから,中学の分までは言えない。
またそんな季節かなあ。いつだか書いた甘い花の香りがする。花の香りは同じだけれど,思うことはもう違う。やはり色々なことに影響されながら日々過ごしているのだと思うわけです。
花の色は移ろいけりな徒に。わが身世に降るながめせしまに。
こんな歌を詠むにはまだ早いな。