続早稲田太郎的日記

続早稲田太郎的日記

市谷牛込神楽坂

ちょっと市谷で時間が出来たので,いつも通り過ぎている横道に入ってみようと思いついた。ふらふらと歩いていたら,こんな歩道橋を見つけた。


2008/08/31
Originally uploaded by taro.waseda



そこで火がついた。
「ゴミ坂歩道橋」!このネーミングはたまらない。ひょっとするとこの先にもいろいろ面白いものがあるのではなかろうか,。そういえばこの先には最高裁長官の家があるという話も聞く。というわけで,あてもなく,道も知らないのに適当に歩き始めた。

と,早速どこからか放送が聞こえる。「あらふしぎ,かえるは人間になりました」なんだなんだなんだ。これはいったいなんだ。音のするほうへ歩いていくと,「ここで時間になりましたので紙芝居はおしまいです。これから納涼祭りのなんちゃらさんから挨拶です」と聞こえてきた。紙芝居なんて,幼稚園以来だ。見られなくて残念。
牛込中央商店街の納涼祭りに遭遇。そして,なんちゃらさんは商店会長さんで,最近変わったばかり。エコ商店街を標榜して,なんだかいろいろな取り組みをしたらしく,「わざわざなんたらさんが来てくれました」とその商店会長さん。

出てきたのがおばさん。「この中央商店街は,営利的な商店街なのに,エコを広めようと頑張っている,とても珍しい商店街です。商店会は50店舗に減っていたのに,この一年入会キャンペーンをして25店舗も増えました。素晴らしい取り組みです。」みたいなよくわからん話で盛り上がる。誰かと思うと,立っている人から「おいおい,区長だよ」という声が聞こえる。どうも,新宿区長はおばさん。そして,納涼祭りに挨拶に来るフットワークの軽いおばさん。

途中で右折。

うねうね歩くと神楽坂に出る。

おお,神楽坂。ここが神楽坂。あの神楽坂。と,とりあえず感慨深い気分を演出。大人のまち神楽坂。なぜか浴衣の女性がちょうちんたらしたお寺の前に立っている。
沿道に旧家めぐりマップを発見。もう思い出せないが,たしか聞いたことのある詩人の家がちらほらとあるようだ。マップを見て,UFJ銀行を右折。途端に道は細くなり暗くなる。そして,二度と旧家めぐりマップは現れなかった。彷徨。夕暮れ。突如曇天。雷。左,左,左,左,左。

自転車乗った警察官が通り過ぎる。体が硬くなる。声をかけようか迷う。しかしここで迷子なんていったら絶対怪しまれる。しかし雨降りそうだし。どうしよう。警察官見えなくなる。

仕方なく歩き続ける。

でかい家。
最高裁長官の名前を知らない。しかし,玄関に警察官が立っていて,大きな家で,「島田」と書いてあったから,確か最高裁裁判官に「島田」というのがいたはずだから,ここが最高裁長官の家なのだろう,と思って通り過ぎる。立ち止まってはならない。職質されるからだ。

左,右,左,左。

元の神楽坂通りに戻る。

右。

飯田橋駅に着く。

助かった。

市ヶ谷駅まで歩く。160円節約。

旧家ひとつも見つけられなかった。でも,細くて暗い道でもちらほらと小さなお店があったり,隠れ家のようにしゃれたホテルがあったりして,不思議だった,と,もう少しゆとりある心で眺めたかったが,実際のところ,久しぶりに結構あせったのだった。



(いちおう補足しておくと,多くの商店街が大変な苦境に立たされているのは事実で,それは知っている。25店舗増やしたというのは結構すごいと思う。それと,区長のHPに行ったら,エコランプ完成イベントだったらしい。エコランプ,確かに街灯の足元に青いランプが付いていたがそれだったのだろうか。そして,街灯の天辺には風力計のような小さな風車がぶんぶん回っていた。)

24時間テレビでエドはるみの113キロマラソンのゴールの瞬間を見る。5年ほど前の本庄早稲田間100キロハイキングを思い出す。今日の自分も。

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浮気

今日はひさしぶりに学校に行ってみた。家を出た時には晴れていたのに,駅を出たら大雨。学校に着いたら止む,という嵐を呼ぶ男の気分。

あまりにお腹がすいたので,どこか食べに行くかと思った。これまた自分の中では珍しいような気がするが,そろそろ秋だからかもしれない。

いつもほぼ同じ中華料理屋に行くのであるが,今日は雨が降りそうだったのと,いつも少し気になっていたのもあって,学校近くの坦々麺屋さんに入ったのである。

浮気というのはしてはいけないものだと思います。

辛さはまあまあだが物足りないスープ,麺は細い,量は少ない。ひき肉はおいしいけど。こんな天気だからか客は自分一人。明らかに失敗。

しかし,ちょっと手を加えれば好みの味になるわけです。新しいものを試した時は,必ず調整が必要なのだ。

テーブルに調味料が一つも置いていなかったのだが,店員にラー油をもってきてもらって,入れたところ,味が格段に上がった。最初から入れればよかった。というか,なんで最初から入っていないのだろうか。なんだ美味しいじゃん。

というわけで,残り半分はおいしく頂きました。

でもやっぱりあっちの中華料理屋のほうがあったかいんだよなあ。

我々はご飯を食べているわけではなくて,店を食べているわけです。


と,ここで沸く疑問は,たんに私はラー油が好きなだけなんじゃなかろうかということ。ラー油は味の良しあしが相当あるのは確か。今日のお店も,お気に入りの中華料理屋も,ラー油は相当いい。どちらも味は違うけれど。

ラー油をなめれば店がわかる。ちょっと違うか。

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人の値段

ま,ふと,人の値段てどれくらいだろうと思ったわけです。

たとえば,月給20万円だったとすると,同じだけお金に働いてもらおうとすると,たとえば金利で稼ぐぐなら,1ヶ月定期預金の利率が年率0.25だとすると,9億6000万になるのだろうか。なかなか高いなあ。

なんでそんなどうしようもない事を考えたかというと今日は昨日みたいな雷雨が夜来るというので,家に引きこもっていたからなのだが,どうもいつも帰る時間帯の電車が落雷で止まったのだそうだ。ついてると思う。

と,電車の広告を思い出したのだが,ananのこの間のタイトルは「男は顔で選ぶな!」だった。それを見て,腕立て伏せを始めた。三日目になって,たぶん,顔じゃなくて体だ,とはたぶん書いていないだろうと気付き,やめてしまった。


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サイヤ人の戦い

今夜は雷のせいで空がピカピカ光り続けている。
サイヤ人が雲の上で戦っているのではなかろうか,とふと思った。
久しぶりにドラゴンボールを思い出したが,たしか,そんな感じのピカピカ光る戦闘シーンがあったような気がする。あるいは,サバンナの雨季の到来シーンだったか。この二つを混乱してしまうあたりが面白い。

最近記憶が混乱することが多い。だが,他人に迷惑がかからない限り,それは結構楽しかったりする。

全然違うものを似ていると思えるというのは大事な能力だと思う,と偉そうに言ってみる。「違う」の一言で片付けてしまうのは簡単だ。だが似ているとばかり言っていても,いつまでたっても正解にたどり着かないときもあるのです。要はバランスですね。ダイバーシティですね。最近覚えた言葉を闇雲に使いたくなっただけです。



【“サイヤ人の戦い”の続きを読む】
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国際政治

グルジア紛争をめぐるロシアの動向というのが最近ニュースでよく流されていますが,国同士の駆け引きというのはずいぶん難しいのだなあと思うわけです。

EUはロシア相手に商売していていま,景気減速気味だからロシアを敵にしたくないとEU主要国は思っているからEUが団結してかかってくることはなさそうだとか,これを機にEUもNATOもちぐはぐな関係にしてやろうとか,それをみてアメリカもテロとの戦いを鮮明にすればマケイン有利になるからブッシュも戦争しちゃおうかな,けどいまやったらオバマが勝ったときの国の威信がとかいってブッシュならぐずぐずしてるだろうとか,そんなこんななんだろうけど,よくわからない。

たぶん,人間関係も同じくらい駆け引きが繰り広げられているのだろうけれど,あんまりそういうのは得意でない。

人間関係が国と違うのは国家主権のひとつである国土のような不動産と異なり,人間そのものは動産だから移動可能。しかしどこにいっても存在するだけでもなんらかの意味づけをされるわけで,たとえば取締役会に参加しただけで,だまってても責任負わされたりするわけで,多数決だと棄権は賛成とみなします的なこともあるわけです。そこで,存在を消滅させることも可能なのですが,その場にいなかったところで,黙示の意思表示的なものを拾い集められて評価されかねない。そこで,存在可能性をも捨てられなければ,完全に自己存在をコントロールできないということなのです。
ドラえも〜ん,石ころ帽子出してくれ〜。
石ころ帽子の素晴らしいところは,好きなときに脱げるということなのだ。

ところで,プロ論について考えたわけです。
プロとは,問題を解決するに当たって,考慮すべき事情をすべて拾い上げて,それを考慮すべきだけの比重を持って考慮して結論を出せること,なのではないかということ。

会社法で言われる経営判断ルールと,行政法で言われる裁量統制論,憲法の比較衡量論,不法行為法の相関関係説,刑法の社会的相当正論,などなど法律上の考え方はこれだろうし,まあきっとほかの分野でもそうだろう。


考えた結果,いい結果かどうかはわからんでしょう。未来の予測は誰にもできないのだから。

オリンピックの勝者たちが努力をしてきて勝ったようにいわれるけれど,負けた人たちだって努力しているはず。努力の程度はきっと後から判断されているに違いない。ちなみに,今年の流行は,天才ではなくて努力家だったという気がする。センスないけど人一倍の練習量で勝ちました,みたいなサクセスストーリーがやたらと多かった。それで元気になったところもあるから批判したって仕方がないけれど,天才ではなく努力を褒めるあたりが,ちょっと沈みがちな雰囲気を物語っている気がする。少し前の華やかな長島人気とか,イチロー人気とは違うから。どちらかというと,王貞治っぽい。

というわけで,木刀振り回して一本足打法を開発しようと思います。


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涼しい夏暑い秋

3ヶ月予報によると,残暑は涼しいが秋は暑いのだそうだ。意味がわからない。

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グルジアのポチ

早稲田太郎君,かつては外国人と間違えられたり,外国人の血が混ざっているんじゃないかといわれたりして,そのたびに,どう反応していいのか,真面目腐って「純血の日本人です」とかいうのもなんかつまらないから,とりあえず,こんな顔した人のいそうな国の適当なちょっと面白い名前の都市出身ということにしようといろいろ探したわけです。2ヶ月ほど前に。

日本人顔の人がいそうなのは,東アジア,東南アジア,東欧,くらいだろうということになり,東アジアは北方系モンゴロイドの血が強いからいわゆるしょーゆ顔。これはうそ臭いから,東南アジアにしようかとも思ったけれど,やっぱりなんとなく違う。そこで,あんまり知らない国にしてしまえと東欧の国にすることにした。東欧の都市をいろいろ探していたらあったあった,グルジアの「ポチ」。犬みたいな名前だし,黒海に面する港町。潮風漂う日本とも近いかもしれない。で,「黒海を望むグルジアのポチから来た早稲田太郎です」と自己紹介することにしようと決めたのだ。

しかし,今日,新聞を読むとおもいっきり「ポチ」が載ってる。日経によれば,「仏大統領,ポチのロシア軍撤退を要求」。駄目だ。ベドメージェフに邪魔された。じゃなくて,メドベージェフ。いや,サルコジだ猿孤児。せっかく考えたのに。

しかもグルジアには僕っぽい人もいなさそうだ。しかしだ,マスコミは北京五輪に夢中であまりグルジアは報道されていない。これはチャンスだ。これは皮肉だ。

が〜ん。真央ちゃんまで邪魔するの。どぼじでグルジアのふくよかなおば様と写真に写ってるの。

別の都市検索中。


グルジアは有名な国でした。ピロスマニちゅう不思議な絵を描く人もいたし。グルジアの戦禍のいち早い回復を望んでおります。

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猫町

猫町 他十七篇 (岩波文庫)

太郎君はケチだから,本当は下の挿絵の面白そうなほうがよかったんだけど,安い岩波文庫で読んだのだった。ほか17篇のうち数篇は秀逸なものがあった。最後の「老年と人生」がグッド。あと,「鉄筋コンクリート!」と叫んでる作品があるんだけど,最近のアーティストかなにかで,似たようなことを言っている人がいた気がする。思い出せないけど。知ってて言っていたら,結構面白い。知らないで言っていても,結構面白い。


猫町猫町
(1997/11)
萩原 朔太郎金井田 英津子

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せみとキリギリス

ありとキリギリスはもともとはありとせみだったらしい。キリギリスよりもせみの方がしっくりくる。キリギリスの死骸なんてみたことないから。

道路に転がっているせみを見ると,生きているか確認してしまう。死んでいても生きていてもアスファルトの上はなんとなくかわいそうだ。せめて土の上に,と思ってしまう。持ち上げると軽い。たましい抜けたみたいに空っぽ。

せみの幼虫はやっぱりレーザーレーサーみたいにきついのかなあ。殻脱ぎ捨てた途端に巨大になる。横に広がる。

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我々の辞書に不可能はない

陸上男子400メートルリレーで日本が銅メダルを取る瞬間を目撃してしまい,歓声を上げてしまった。陸上でメダルなんて絶対無理だと思っていたんだけどなあ。ま,勝てる可能性について執念深く考えもしないで結論を早急に出すのはよくないと思ったわけです。

オリンピックは勉強になります。

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社会契約論

社会契約論 (岩波文庫)社会契約論 (岩波文庫)
(1954/01)
J.J. ルソー

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「ドレイ」とカタカナで書いてあったので読めるかもしれないと思って買ったのであります。版が古いのか,活字が綺麗に並んでいない。そこが新鮮でした。たとえて言うならば,新聞の文字を切り貼りして作った犯行声明分のような感じです。それもまた古いのですが。

まじめに読もうと思っていたもののついつい流し読みになってしまったので真髄みたいなところはまったくえられなかったと思います。心に引っかかった部分を少しだけ。

「一般意思」というのを重視しているようなのですが,この概念を理解するのが難しい。イメージで言えば,総論賛成各論反対の総論部分みたいなものだとか,我々人類としての意思みたいなものなのだろうかとか,そんなところです。

憲法の樋口陽一の教科書にも引用されている部分ではありますが,この本には日本が登場します。「日本のやしが子供を刀で切ってばらばらにして空に投げて手元に戻るとまた人に戻っているというのがあるそうだが,国家の主権をばらばらにして元に戻すというの不可能なのだ」といったようなことを言っています。この時代でも日本の刀は切れ味抜群だったのだと思います。

あとは,どんな文脈だったか忘れてしまいましたが,アジア人は小食でスマートだという一節があります。我々ヨーロッパ人は肉を食らい続けぶよぶよに太ってしまっているが,アジアの人たちは小食で芋ばかり食べていてスマートだ。それなのにどんどん食料を生産できる。なのに小食のままだ。という部分。ダイエットにはあまり興味のない早稲田太郎ですが,欧米から輸入されたダイエット方法というのは胡散臭いのかもしれないと思いました。

ええと,それと「人々はドレイよりも貧乏を恐れるのだ」とか,そういったのもなるほどと思いました。

あと,「生まれながらにしてドレイなどというのはありえない」とか。ドレイは奴隷が好きなのではなく,抵抗する力をなくしてしまったのだとか。どこかで聞いたことのあるような話ではありますが。悲惨と言ったらその境遇にいる人に申し訳ないのかもしれませんが,悲惨な状況の人でも,案外元気に生きていたり,あっけらかんとしているように見えることがあります。それをみて,好きでそういうことをしているのだとか,案外あっけらかんとしているものだとか,そう評価する人を見ることがありますが,そう簡単なものでもないのだろうという思いを強くしたのであります。ただ,声を上げない者を救おうとするのは,押し付けがましい偽善かもしれないという疑念となんらかの自己の欲望が背後にあるのではないかという不安とも戦わなければならないという大変な負担を支援者側に押し付けるというのもありうる。そんなこと考えて行動する人などあまりいないのかもしれませんが。岸信介の「声なき声」の名の下に,あの安保闘争に終止符を打ったこともあるわけですし。まあ安保闘争の是非はよくわかりませんが。

まあもういいかな。


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宿屋めぐり

宿屋めぐり宿屋めぐり
(2008/08/07)
町田 康

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町田康の新作です。今月上旬に出たばかり。本なんて腐るほど本屋にあるけれど,ハードカバーでも買いたくなる本なんてめったにないし,少し前に町田康の浄土を読んで,かつてほどすっと腑に落ちなかったことからするとそろそろ感性が鈍ってきて,彼の作品を楽しむこともできなくなってしまうかもしれないというあせりも重なりあわてて買いました。

なかなかよいと思います。まずひとつに,時代が少し旧い設定のようでありながら今の話も普通に出てきていて,時の流れを越えている点。本当は時代劇であっても今書いているのだから今の常識を山ほど取り込んでいるのにそれを隠そうとするのと違って,まったく隠そうとしていないのがいい。
次に,大義名分をいろいろ並べながら結局自分の好きなように物事を解釈してしまうという我々の根源的な問題点をこれでもかと書き連ねる。素晴らしい。
三つ目に意味不明である。これがたまらない。

こんな風に説明するとあまりよくわからないかもしれないから,なんとなく,知識に頼る人向けにコメントをしようとするならば,実存は本質に先立つことを文学的に表現した傑作とでもいおうか。よく意味知らないけど。パンクな人に説明するなら,この本のテーマは破壊だ。芸術好きの人に言うなら爆発だ。

説明する気がない。ただそういうことです。

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カミがない

どんな感じを当てはめるかはその人次第。

僕の場合は紙がない。

といいつつトイレの話ではなくて。

ふと何か気付いたりしたときに,めもっておかないと一瞬で忘れるのでメモしようと思うと紙がない。紙を探している間に他の事を考え出してさっきのアイデアはどこかに行ってしまう。というのがよくあるわけです。

ようやく紙を見つけて書き出そうとすると忘れていて,一生懸命思い出してようやく思い出すと実はどうでもいいことだったりするわけです。

たとえばこの間,亀が車に引かれたのかぺしゃんこに潰れて道路の脇に綺麗に広がっていたのだが,なんかせんべいみたいだなあと思ったらせんべい食えなくなりそうだと思った時点で似た色をしたせんべい食えなくなった。

メモしなくてよろしい。


江頭2:50てすごいと思う。ネットニュースで笑うことなんてめったにない。


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妙な気

妙な気を起こすんじゃねえぞ。とまあ,ちょっぴり古いフレーズを使ってみましたが,今日は,少しここを使ってイベントをしてみようかと思いました。というのは15分でどれだけ書くことができるかやってみようということです。ねたも考えていないし変換ミスあまり気にせず。ハイスタート。

といわれたって書くことなんてそんなに浮かばないようにも思えるけどそんなこともない。まずはオリンピックも後半になるとだんだんついていけなくなってきてお気に入りの選手の誰がまだ残っていたっけということになるわけです。といいつつひょっとしたら誰かが金メダルを取っているかもしれないとちょくちょくニュースをチェックしてしまうのですね,そうすると,ムシャラフ辞任のニュースに立ち会ってしまったりしてまったくなんでこんなおじさんの顔をみなきゃならんのさと思ったりするわけです。まあそれはさておき,奇跡の時間というのがあるのはご存知ですか。それは日曜6時電車の中。ふと顔を上げると美女がいる。あまりに美女過ぎておくちあんぐり,目も釘付けになってしまうとこれまた不審者扱いされること間違えなしなので,下を向いて本を読む。読む。読む振りしているはずがいつの間にか面白くて本を読む。すっかり忘れてページめくろうとして顔を上げると,またおくちあんぐり目は釘付け。これまたこまったことだとあわてて下向いてというのをくりかえしていると,ふと顔を上げたら別の美女が。おくちあんぐりぐり。なぜこんなにも美人が多いのですか日曜六時電車の中。もういやよ。そうおもってまた下向いて本を読んでページめくって顔を上げるとまたあんぐりぐりぐり。どひゃあ,別の美人に代わってる。なんでそうなってるわけ。意味がわからんのよ。これはきっと僕の頭の中がおかしくなって誰でも美人に見えるようになってしまったに違いないそうじゃなきゃ日曜六時がまの刻になってしもうた。困った困った。と,どきどきしているうちに,駅に降りる。やれ助かったと思っていると,外は雨。それは昨日の話しだから今日の話を考えようと思ったわけですね。月曜12時はこれまた魔の刻。もうすごいったらありゃしない。それはベビーカーを押すお父さんと,おばあさんと,おかあさんの三人組。ベルが鳴ってから普通に乗ったのがベビーカーを押しているお父さん。おばあさんはドアに挟まり,お母さんはホームでぼおっと立っている。運ちゃんあせったかドアを開けたところ,二人駆け込む。そんでもってこっちでよかったんかいねという話でひとしきり盛り上がった後,おかあさん私の足を踏む。思いっきり。久しぶりに思いっきり踏まれた。ハイヒールだったら過失傷害だね。ついでに器物は損だよと思ったけどこういったときって不審者っぽいこちらが怪しまれるから笑顔で大丈夫というのが最善の策なのだと思ったりするわけです。だいたい小学生のときにけんかするとこっち悪くないのに泣きべそかいた女の子に指差されたらもうアウトみたいなものですよ。いや,女の子に限ったことじゃないんだけどね,大体見た目だ判断されますからね。普段から目をつけられないようにおしとやかにすごすのが一番でごんす。とかいろいろ考えている暇もなく駅について,その三人組が降りそうになったからあわてて先に下りようと席を立ってしまった。なにかが起こりそうだから。ふう。何もおきなかった。よかったよかった。と思って外に出ると月曜昼12時。昼食を求めた大人たちが道路にあふれかえっているわけです。うう。この光景見たことある。4月の早稲田みたいな感じだ。授業と授業の間は構内が渋滞して遅刻するんだよ。いみわからんよ。なんて久しぶりに思い出したのだった。いや,早稲田ね。であった人数の割りに親しくなれた人は少ない気がするけれど,でもだいたい人生なんてそんなもの。会わなければ始まらないさ。だから大切大切。どこでの出会いも大切よ。

ぴピー。時間です。ペンを置いてください。

というわけで,どうにもこうにも最近読んでいる本の影響を受けていることがよくわかる15分でした。

ちゃんちゃん
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月明かり

今夜は月明かりに照らされて白黒の世界が広がった。

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思い出し笑い

今日は雨が降るまでは暑かった。余りに暑くて状況が理解できないと笑うことすら出来ないのだが,しばらくたって涼しくなってから笑いがこみ上げてきてしまった。

それはチケットショップで。ふと,切手を買おうと思って駅前のチケットショップに入ろうとしたら,しまっていて,張り紙で,本店で営業しているとある。すぐそばなのでそちらに行った。3階だったので階段で登って行ったのだが,1階2階は古い飲み屋らしく当然昼間は営業しておらず薄暗い。3階も,と思って見上げると,おばあさんが皿の上にトマト載せて包丁握って仁王立ち。

「何の用かい?」思いっきり不審な目で見られる。

先日の職務質問の件もあり,やはり見た目が怪しいのだと若干沈んだ。でも,今思えば皿の上にトマト一個載せて包丁持っているおばあさんの方が怪しいと思う。

「切手」と,怖気づきながら言う。

「なんだうちかい。はいりな」と,シャッターを開ける。どうも昼休みだったらしい。しかし今思えば,「はいりな」ってなんかそのう時代劇みたい。

「切手3枚ください」と言ったら,「3枚!?そら割り引けないね。売るなら10枚からだよ」といわれ,暑くて面倒だし,なんか変な雰囲気の店だし,およそ物を売る雰囲気でないこの店のおばあさんがなんとなく気に入ったし,10枚でも1000円を越えることはないからいいかと思って,買うことにした。一応「3枚で駄目なら5枚でいかが?」とか言ってみたのだけれど,向こうの返事を待つまもなく「ま,いいや10枚で」といってしまったのが真実のところ。

おばあさんはファイルの中から切手を取り出して10枚切り取ってくれたのだが,あんまりいい加減にちぎるものだから,切手が千切れてしまう。「はい10枚」と渡そうとしては「あらこれ破けちゃってるね。これは駄目だ」といってまたファイルから取り出し,今度は反対側を破ってしまい「あらこれも駄目だ」といい,結局10枚中2枚は別の図柄の切手になってしまった。特に同じ図柄である必要もなく,むしろ別の図柄の方が楽しくてよかったのだけれど。

で,お釣でなんか安いチケットでも買えないかと思い「期限の近いチケットとかありません?」ときいたら,「不景気だから全然ないね。あったら売りたいところだけど」と,即答。

なんかよくわからん。ま,面白い切手が買えたからいいや。と,思い店を後にした。

しばらくたって,ほんとよくわからん。あれはいったいなんだったのだろうか。と思い,笑いがこみ上げてきた。


今日は夕方大雨。一人でも花火見に言ってやろうかと意気込んでいたのだがやめにして,夜雨傘差して歩いていたら雨やんで,折り畳み傘振り回していたらビルの隙間から子猫軍団が出てきて,折り畳み傘をワサワサやって気を引きながら遊んでやろうと,違法駐車車両の後ろに座り込み四苦八苦したがうまくいかなかったんだが,3匹もかわいい猫を見られたので満足して空を見上げたら,切れ掛かった蛍光灯みたいに雷が光っていた。

誰かに言いたかった。今日の出来事。

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オリンピックでお勉強

始まるまで大して興味を持っていなかったのだけれど,やっぱりスポーツというのは素晴らしくて気が付くと引き込まれている。事前にテレビなどを余り見ていなかったこともあって,選手の前評判などはよくわからないままみているものだから,スポーツ観戦によくある,みんなで一緒に盛り上がるような感覚がない。

だからなおさらいろいろ勉強になるなあと思うわけです。観客とか,ファンとか,支えてくれる人とか,いろいろあるけど,一人でも戦っているんだなあと。

他にもいろいろ。山ほどたくさんの人たちの山ほどたくさんの欲望と策略がぐじゃぐじゃに入り混じっていて,余りに汚い欲望ばかりで嫌になりそうなんだけど,選手が輝いている。正確に言うと,選手ではなくて競技が輝いている。


柔道の鈴木桂治の負け方をみて,ひどく動揺した。昨日のことだけど。あんまり動揺して寝坊してしまったくらいだ。
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たまらない女・つまらない女

昔便秘薬のCMで,「たまらない女・つまらない女」というのがあったのだが,便秘してるかどうかで,たまんない美女になったりつまんない女になったりするなんてありえないよなあと思っていたのだが,ある日突然,「たまらない・つまらない」が便通のことを言っているのだと気づいたとき,感動したわけです。誰にもいえないけど。だって普通すぐ気付くから。

びっくりするくらいすごいと思うと,馬鹿にするくらいしかすることがなくなってしまう。ほめることすら恥ずかしく感じるから。

星が目に入って久しぶりに空を見上げたことに気付いた。今日は月がきれいだったから。
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軽い男

軽い男になったものだと思うわけです。だからそろそろ終わりだなとも思うわけです。ブラックホールが自分自身の重力に耐え切れず星から穴になってしまったように,まあ僕も僕から穴になってしまうのだろうと思うんですね。ブラックホールはワームホールでつながってホワイトホールに出てくるらしいのですが,僕の場合は穴から出てくるときには卵の中に閉じ込められてしまっているんじゃないかと思います。僕は思うんですけどね,まん丸の卵だったら中でくるくる回っていつまでたっても出てこられないんじゃないかと。だからきっとどの卵も偏っているんですよ。じゃまあもし水泳の同着スイムオフみたいな偶然で,まん丸卵に生まれてきてしまったら,ずっと卵の中でくるくる回りながら必死に突っつこうとして一生終えるんじゃないかとも思うわけです。でも,きっとどこかに引っかかるところがあるはず。そんな希望を持ってひたすらくるくる回りながら突っつき続けているのが人生なんじゃないかとも思います。まだひよこにすらなれていないのですから,頑張ろうと思いますよ。まだまだたった一人で卵の中にいるのですから。

そうじゃなかった,まだ卵になる前の穴になる前の軽い男なのだった。ふっふっふ。閉じ込められてない。

だからいってることと思ってることが全然かみ合っていないような気がしても許してもらえるだろうか。いや,思っていることを言っているのに全然伝わってないのだと思いたい。結論は既に向こう側に用意されている。同時に,こちら側にも用意されている。わかっていること以上の事はわからない。

もし,思ってることがずれているなら,それは,とった行動のどこかに原因がある。自分にとって他の意味を含む何かをしてしまっていることから,思っていたことと,行動から生まれた思ったことがずれてきて,どちらが本当かわからなくなって混乱しているのだ。

そんなつもりじゃないのに,こんなつもりじゃなかった。そういう思いが生まれる瞬間。


回避しようとすると,逃げ腰でよけい意味不明になる。

今の気持ちに完全に正直になるか,過去の気持ちに完全に正直になるか。どちらかが簡単な対処法。
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幸福論

1の幸せを残すには,9の苦労をして10の幸せを作るしかない。2の幸せを残すには18の苦労をして20の幸せを作るしかない。耐えうる限りの負債を抱えて可能な限りの幸せを残そうとしている。いつもうまくいくとは限らない。でも,利益のあるうちに解散してしまうなんていうのは少しばかり卑怯な気がする。

できることからがんばろう。

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花火の音が聞こえるような気がした

今日はお台場の花火。そんな話を耳にして,行ってみようかとも思った。

でもそういう時に思い出すのは夜空に広がる大きな花火ではなくて,行き帰りのギュウギュウ詰めの電車だったり,あまり上手に着こなせているとはいえない浴衣を着てはしゃいでいる女の子だったり,そのとなりでなんとなく格好をつけているように見える男の子だったり,余りに蒸し暑くて楽しもうと思っているのにいつの間にか不機嫌になっていった時の思い出だったりする。

ふと,高層ビルの上から見たら,花火が見下ろせるかもしれないとも思いついたが,僕が思いつくようなことは,もう既に誰かが思いついているに違いない。そういう奇をてらって行く人達は,混んでいるとは予想だにしないから,予想外に混んでいたときの不機嫌さはもっとひどいに違いない。そんな風にも思った。

で,突き動かす衝動がなかったので静かに学校にいた。

7時頃,ズ〜ン,ズ〜ンと,低い音が体に響いたような気がした。気付くと窓側の席。無意識のうちに何かを期待して窓際に座っていたらしい。今日は曇り。雲に反射して花火の音が聞こえるのかもしれない。急にソワソワしてきた。花火だ花火。あわてて屋上に行こうとしたけれど鍵がかかっていて外に出られない。一階に降りようかとも思ったけれど,きっと車の音で聞こえない。そうだトイレ!トイレに走っていってトイレの窓を全開にして身を乗り出して聞いてみた。しかし何も聞こえない。聞こえるのはクーラーのファンの音だけ。それにしたって,なんだってトイレなんだろう。と,思いつつ,手を洗って出てきた。用を足していないのに,手は洗っていた。

席に戻ると,やっぱり音が聞こえるような気がする。よく考えたら,どこにいったって花火は見えっこないんだから,ここで聞こえるような気がする音を楽しめばいいと思い直した。

ズ〜ン,ズ〜ン,ズズズ〜ンと,時折連続で花火が上がるような音。聞いているうちに花火の盛り上がりを思い出してきた。そうだ,花火は音なんだよなあ。夜空に輝く花火じゃなくて,腹に響くあの音がたまらないんだった。

妙に納得。音か。

考えてみると,記憶の中から肌で感じた音というのは全然思い出せない。花火の音も,腹に響く音に感動したことは覚えているのだけれど,その音を鮮明に思い出せない。目で見た記憶のいくつかはもっと鮮明に思い出せるような気がするのだけれど。でもそれはなぜか少し薄っぺらい。

映像の記憶の中に,音が挟み込まれていて,なんとなく,絵の隙間から聞こえてくるような気がする,それが限界。聞こえてくるような気がする。それで充分。肌で感じる感動はその瞬間だけで充分。思い出すといろんなことが剥げ落ちすぎる。突き抜ける快感はそのときしか味わえない。

突き抜ける快感。これは音に限ったことではない。絵を見ていても,本を読んでいても,何かが体を通り抜けていくように感じる瞬間。それが感動か。

恥ずかしながら,内柴の優勝には感動しました。
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あらぬ疑い

今日は新宿で職務質問に伴う所持品検査を念入りにされました。何も悪いことをしていないのにあらぬ疑いをかけられるというのは嫌なものです。ランボーな気分。あれも最初はベトナム帰還兵差別が主題だった。あとのほうのドンパチものしか知らなかったあの時に見た第一作は衝撃だった。ハッピーエンドでもなく,盛り上がるわけでもなく,ヒーローもなく,余所者を排斥するムラ的社会があのアメリカにもあるのかという,驚きと落胆。

ランボーランボー
(2004/06/25)
シルヴェスター・スタローンリチャード・クレンナ

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暑さと空腹でふらふらのときに彼らはやってくるわけです。なぜか。

ぶうぶう言ってはいますが,暑い中道を歩きまわって職質して,いざというときには命を投げ出して我々善良なる市民を守ってくれるのはお巡りさんなわけですから,文句を言いつつ感謝しようと思います。感謝しているんじゃなくて,思っているだけ。

職務質問をするには嫌疑が必要なわけで,どんな嫌疑があったのかを考えてみた。

坊主。
薄ら髭。
痩せ型。
大きめのリュックサック。しかも黄緑。
半ズボン。
全身ユニクロ。しかも数年前の。靴だけナイキ。
うつむき加減。
一人。

十分怪しい。

仕事してるのかとか何をしに来たとか新宿にはよくくるのかとかいろいろ聞かれた。

まさか正直に,久しぶりに新宿に出てきて目覚まし時計を買おうとヨドバシカメラに行ったけれど,思ったより高くてお金が足りなくてすごすご出てきたところだとか,あまりの人ごみに疲れて嫌になってきたとか,仕事してないけど首の皮一枚で学生やってますとか,言えない。と思うと何を言おうにもどんどん言い澱んで余計怪しい。

かばんのチャックほとんどあけられていろいろ見られたけれど,中に入っているのは,くしゃくしゃに丸まったパンフレットと,古新聞と,六法,会社法の教科書,ファイルと,文庫本と手帳,ペンが直接刺さっていて,数本はかばんの底に沈んでる。それと携帯電話の充電コードとイヤホン,傘,種,ティッシュ,ビニール袋。が雑然と。

チェックするのも苦労したことでしょう。

いつみられても困らないように少しは整理しておこうと随分後になって思った。

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ポケットに名言を

ポケットに名言を (角川文庫)ポケットに名言を (角川文庫)
(2005/01)
寺山 修司

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てやんでえ,寺山修司でも読んでやるか!と読まず嫌いだった寺山修司を初めて手に取った。その理由は三つ。一つは,赤塚不二夫関連の情報を集めていたら,いつの間にかタモリ情報を集めていて,そしたらタモリの芸に「寺山修司」になりきるというのがあったので,どれ,寺山修司臭いものでも見てみようと思ったということ。二つ目は,寺山修司なんてと思ったら早稲田じゃないのというのと,偶然親しい友人が寺山修司好きだという情報を目にしたということ,そして三つ目に,角川文庫のプレゼントが欲しかったことによるのである。

よくわからないその三つの理由により,青臭い青春を味わってみるのもいいかなと気が変わったわけです。

読んでみたところ,まだ途中ではあるのだが,この本はいろんな人のいろんな名言を寄せ集めているために,タモリが真似したであろう寺山節があまりみつけられない。その代わり,山ほどの名言の中に,ふしぎと心を打つものと,全く心を打たないものと,どちらかというと心を打つものと,どちらかと心を打たないものがあるのだ。イチかゼロかではなくて,切れ目なく無感動から感動まであるのだということが面白い。

それと,あんなに好きになれないと思っていた三島由紀夫の言葉が,自分の言葉と重なっているのである。まねをしたか,まねをされたのではないかと疑いたくなるくらいに同じことを語っているのである。彼の本など金閣寺しか読んだことないのに。

法哲学の勉強をしていたときにも,あれほど嫌いだと思ったカントのいっていることに納得してしまった瞬間があったりして,不思議なものだと思ったのだが,ひょっとしたら,三島由紀夫も間との影響を受けているのだとしたら,僕がカントの影響を受けて考えるようになったことと三島由紀夫が考えるようになったことが同じだとすれば,それは不思議ではないようにも思える。それでも,そっくりの表現というのはいただけない。

もうひとつ,「さよならだけが人生だ」という言葉があって,それは井伏鱒二の詩の一節だと紹介されている。これまた僕が好きな言葉だったので,なんとなく陳腐化した気がして残念であったのと,好きな言葉だと誰かに言ったらきっと寺山修司を読んだのだろうと思われてはなんとなく過ぎ去った青春を追い求める熱血系だと勘違いされてしまっては困る。それだけでなく,「さよならだけが人生だ」がかわいそうだ。その上,感動が汗臭さに埋没してしまう。と,危惧を抱いた,というのは脇道の話であって,僕は井伏鱒二の詩を読んだ覚えがないし,この本も始めて読んだのであるから,僕はどこでこの言葉を知ったのだろうというのが気になったのである。誰がどこで語った言葉を僕は覚えているのだろう。なぜそのとき感動して覚えてしまったのだろうか。

たぶん,その時は「さよなら」の意味を知らなかったのだと思う。恋に恋するように,さよならにあこがれるときもあるのだろう。


{Hello Goodbye-the beatlesより}

君がさよならを言うから,ぼくはこんにちはをいうんだよ
こんにちはこんにちは
なんできみはさよならが好きで,僕がこんにちはばっかり言っているのか知らないんだけど
こんにちは!こんにちは!
なんでかしらないけど,君がさよならをいうから,僕は君よりたくさんこんにちはを言わないといけないような気がするんだ


You say goodbye and I say hello
Hello hello
I don't know why you say goodbye, I say hello
Hello hello
I don't know why you say goodbye, I say hello.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうだ,完全にずば抜けて感動するということもあるのを忘れてはいけないということを付言するのを忘れちゃいけない。見たこともない,考えたこともない,想像したこともない,予想することも出来ない,そこに触れることすら許されない何かを見せ付けられた瞬間,ずば抜けて感動するわけです。

たとえば,タモリの弔辞がそうだ。


感動したくて生きているのかもしれない。ただ感動というのは簡単にさせてくれない。こちらにも相応の準備が必要だということだ。だから本当の感動を知るまでにはまだ生き足りない。

時よ止まれ,お前は美しい(ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)

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カブトムシ

帰り道,カブトムシのメスが道路で寝ていました。せっかくなので捕まえたけれど,特に喜ぶ人がいないので,家の壁にはっつけておきました。子供の頃はよく転がっていましたが,久しぶりに会いました。結構毛だらけでした。

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ブログの値段


My blog is worth $564.54.
How much is your blog worth?


サイトを見つけたのでやってみました。ドルで出ると値段がよくわからない。クリックすると自分のブログの値段も調べられます。


通信簿というのもあるのでやりました。

tushinbo_img.png

詩人ねえ。

通信簿はこちらから
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不謹慎ながら死んだら誰に連絡してもらうかという問題について

ま,ふとそんな話が出たわけです。それで自分の人間関係がいかに形成されていったかを考えることになったのです。少しずつ手を広げていくことが多いのだと思ったのでした。新しい世界を広げるきっかけには多くの場合友人がいるということです。友人は大切にしようと思いました。

ぽっと世界が広がっているところも時々あるのが面白いところ。

草みたいなものかな。

ちょっとやそっとの日照りで枯れないようにしたいものです。
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芋虫

芋虫  江戸川乱歩ベストセレクション2 (角川ホラー文庫 え 1-2 江戸川乱歩ベストセレクション 2)芋虫 江戸川乱歩ベストセレクション2 (角川ホラー文庫 え 1-2 江戸川乱歩ベストセレクション 2)
(2008/07/25)
江戸川 乱歩

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読まないほうがいい。すごい。伏字が余計に怖い。早く終わって〜!と焦ってページをめくる手が震える。閉じるのも怖い,進むのも怖い。息をするのも瞬きするのも怖い。

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非論理的な法律

法律というのは非論理的だ。

その典型が反対解釈。

AならばBという法律があった場合,AでないならばBでないと解釈するのが反対解釈。

論理的にはこれは裏だから偽の命題。

適性試験ではこの問題はバツにしなければならないけれど,法律論文試験ではこれはマルにしなければならないのです。おかしな話だ。

というので完結できるのだけれど,反対解釈が許されるかどうかという点まで考慮するのが法律だから非論理的ではないというのが法律学者の言うところだろう。論理学での偽の命題は,必ず正しいとは限らないということに過ぎないのであって,必ず間違いというわけではない。だから,正しいときには裏も許されるということだ。

ややこしい。
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ふと思った

竹取物語に触発されたのかもしれないけれど。僕は過ごすことが得意だと思った。生きる能力はちいとばかし足りないような気がするけれど。この能力,きっと年取ってから役に立つと思う。一日考え事して終われる。しかしそれは試験の前日にすることではない。

このブログを始めてから変化があったのかなかったのかということが少しだけ気になって,少し昔の記事を読んでみた。読んでみた,というこの行動もまた,時折している気がする。同じことが何度も何度も書いてある。それをみて,ぜんぜん変わらないなと思った。そう書いてあった日があった。ところが,それをみて,今日は,変わっているのではないかと思った。一字一句全く同じわけではなく,表現が変わっているし,伝えようとしていることもほんの少しばかりずれているような気がする。そう感じるということは,今の自分がその二つの時点と比べて確実にずれているということなのだろうかと思った。少なくとも二度振り返らなければ変化には気がつかない。こうやって何度も何度も振り返り,歩いてきた一本道が真っ直ぐのようでいて,遠くのほうが曲がったり傾斜があったりするのをずいぶん後になってから気づいたりするのだろう。

最近軽薄な文章しか書いていないと思ったけれど,実は昔から軽薄な文章を書いていた。軽薄という評価が,思ったまま,感じたままを書いただけだというのならば。感じたり考えたりすることは経験とともに増えてくる部分もあって,いや,一つの経験を評価する材料がどんどん増えてくるから,一つの経験の重みが増してくる。経験とか評価とかそういった重みは言葉にすべて乗っかってくるから,一文字一文字がどんどん重くのしかかってくる。上からだけじゃないから,上下左右四方八方から押し付けられて縮こまってしまう。たったひとつの言葉から山ほどの評価が引き出せるのだとしたら,自分の伝えたいたった一つの評価を的確に伝えるにはどうしたらいいのだろう。山ほどの言葉で他の道を潰していく作業と,余りにもありふれた表現を使うのと,だったら後者の方が楽。前者だと潰すために使ったその言葉をもまた潰すために苦労しなければならない。最近の軽薄な文章はその重みから解放するための一つの方法だったのかもしれない。私達はくだらないといいながら軽薄なフレーズに弱いのだ。どんなに考えつくした気持ちの伝え方よりもありふれた「愛してる」の一言のほうがよかったり,すべての背景を捨象して「誰でもよかった」なんて「許せない」とか。

代償という言葉がある。何かを得るとき,何かを失っているのかもしれない。逆に,何かを失ったときは,必ず何かを得ているのだと思う。だから,それを逃してはいけない。

最近,教訓めいたことばかり書いている。これは以前にはなかったことだ。アフォリズムね。あほリズムじゃないよ。似たようなものだけど。だいたい音が似ているというのは,意味も似ているということなのだ。馬鹿とカバもなんとなく似てるでしょう。雨と飴だって雨粒と飴粒だもんね。似たものよ。ぱーとぷーも。ピーコとパー子も。


いやあ,なんだか最近暗いような気がするね。なんでだろうと一生懸命考えていたら,あ,そうだ,俺根暗だったんだ。とおもったらなんか元気になってきた。いやでもこんな簡単に元気になったら根暗じゃないんじゃないの。というわけで,ちょっぴり暗い気分を演じてみたのだけれど,どうにもこうにもそんな自分が笑えてきて,目指せ陰のある男。ふ。

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竹取物語−星新一

竹取物語 (角川文庫 ほ 3-10)竹取物語 (角川文庫 ほ 3-10)
(2008/07/25)
星 新一

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星新一は一文が短い。不思議だ。町田康の延々と続く一文も好きだけれど,ポツリポツリと文が切れるのも美しいと思う。たくさんの言葉の中に何かを隠すのと,簡単な言葉の中に何かを隠すのは,似たところがあるのだろう。
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レーニン

レーニン (光文社古典新訳文庫 Cト 1-1)レーニン (光文社古典新訳文庫 Cト 1-1)
(2007/03)
トロツキー

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革命だ!とかいって元気が出るかもしれないと思って買ってみたのだが,背景知識がなさ過ぎて驚くほど意味不明だった。それでも,収穫はあった気がする。

トロツキーというと,レーニンのあとスターリンと主導権争いをして敗退した人というイメージしかなかったのだが,どうもそうでもない。昔はトロッキーだったのに,いまはトロツキー。昔はカムチャッカだったのに,今はカムチャツカ。それはどうでもいいのだ。

トロツキーの殺され方がすごい。スターリンから放たれた殺し屋にピッケルで頭を刺されたらしい。

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赤塚不二夫を偲ぶ

偲びようがないよなあ。

「それでいいのだ。」
とかいったらぜんぜん偲んでないし

「シェー」
じゃ,浅はかだし,

「お出かけですかれれれのれー」
じゃなんとなく天国に出かけたっぽくないし

「忘れようにも思い出せないのだ」
じゃもう忘れちゃってるし

「テクマクマヤコンテクマクマヤコン」
じゃ女の子っぽいとか言っていじめられるし

「にゃロメ!」
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総員玉砕せよ

総員玉砕せよ! (講談社文庫)総員玉砕せよ! (講談社文庫)
(1995/06)
水木 しげる

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ここのところずっと集中できなくて,頭の中に粕がいっぱい詰まっているような状態なんだろうから,デフラグのつもりで何か本でも読もうかなと,本屋に立ち寄ったところ,水木茂の漫画が文庫になって売っていた。戦後日本史みたいな本の隣においてあって,戦後日本史を水木さんの目から見たものも気になるところだが,全部で5冊くらいあって,まだ試験が終わっていないのに読み出したら危険そうなのと,そういえば,今月から8月で終戦記念日もあることだし,戦争ものを読んで,凝り固まったステレオタイプな戦争観を少しやわらかくしてもいいかもしれないと思って買った。

やわらかくなった。そして,デフラグも結構うまくいった気がする。でも,やっぱり最適化できない部分がありました。

ちょっぴり感想書くと,まあ,人が死ぬのにかっこいいドラマなんてないんだということ。それと,事の重大さと人の行動は無関係なのかもしれないということ。

戦争中でも平和な中でも意地汚い人間は常に意地汚いし,潔い人は常に潔い。いや,そうやって一人の性格を一つの言葉で語ることには問題があるような気がする。さまざまな感情やらなんやらが頭の中でぐるぐる回って動いているのであって常に意地汚いわけではなく突然いい人のような行動をすることもあるし,その逆だってあるわけだと思いたい。常なるものがないという前提がなければ,民主主義は成り立たないし,そこまで根本的なところから論じようとすると大概はうそつきになる。詐欺師ほど大きな嘘をつくものだ。

とりあえず,取りうる行動としては,感情に押し流されず事実をつぶさに見ていくことがやはり大切なのだろうということだ(情に棹させば流される)。それと同時に周囲の人の目まぐるしくかわる感情の動きを捉えず行動するとトラブル発生(智に働けば角が立つ)。で,できるだけ周囲の感情が予測不能な動きをしないよう,自分も見落としをしないように自分の行動を予測可能な一貫性を持たせようとするが,そううまくはいかない(意地を通せば窮屈だ)。

あと,あとがきがよかった。たった数ページだったけど,よかった。

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